生き方にルールなんてない。あるのはいつも、ヒントだけだ。さまざまな人々と出逢い、さまざまなヒントをもらいながら、誰もが自分自身にとって、「ハッピーな旅」をすればいい。他人に自分のルールを押しつけたり、押しつけられたりすることなく、自分の気持ちいいペースで、気持ちいいやり方で、胸を張って生きていこう。
おれが信じる験担(げんかつ)ぎはただ一つ。ホームランを打ったときはかならず全部のベースにさわることだ。
前に進むほど、自分の一部が壊れてその破片が落ちたとしても、誰かにそれを掃除してもらいたくない。もし壊れ続けて自分がなくなったとしても、破片が自分の歩いてきた道になるじゃないですか。
労働の賃金は勤勉への奨励であって、勤勉とは他のすべての人間の資質のように、それが受ける奨励に比例して進歩するのである。
今あなたが立っている 場所から、今持っている馴染みの道具を使って始めなさい。より良い道具は、あなたが進むにつれて現れるだろう。
CSR活動を宣伝と考えている限り、様々な取り組みに手を出して結果を出せないままに終わってしまいます。何をすれば本当に変化を生み出すことができるのか、そのことを考えなければなりません。
私の良心は神の言葉の中に捉えられている。
悩み事は、散歩して忘れるのが一番だ。まあ、ちょっと外へ出てみたまえ。ほら、悩みごとなんか、翼が生えて飛んで行ってしまう。
私たちは明けても暮れても美しいおとぎの国に住みながら、目をふさいでみようともせず、見飽きているために、それに喜びを感じないのだ。
みんながみんなのために働く、それがほんとうの愛国心。
私は、自分の障害を神に感謝しています。私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです。
芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である。
毎日誰かのために何かをしなさい。見返りを求めずに。
人生の悲劇は、生きていながら内部では死んでいることだ。
老いは、私達の顔よりも心に多くのシワを刻む。
相手のことを知るよりも、自分自身が強くなればそれで済む世界だし、それを目指した方が本筋というか、王道という気がする。
道を志した者が不幸や罪になることを恐れ、将来につけを残すようなことを黙ってただ受け入れるなどは、君子の学問を学ぶ者がすることではない。
万民の上に位する者、己れを慎み、品行を正しくし、驕奢(きょうしゃ)を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。然るに草創の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。
私の歩みは遅いが、歩んだ道を引き返すことはない。
主は平凡な顔立ちの者を好むのだ。それゆえにそういう顔をたくさん造られたのだ。
英雄とは、自分のできることをする人だ。
人生の賭けで得をしようと損をしようと、賭けるべき肉が一ポンドでも残っていれば私はそれを賭けるでしょう。
孤独になるには、旅に出るのがいちばんさ。
自分の足で立っている者は、決して孤立していない。
同じ決断を二度するな。最初の決断に充分時間をかけて確固たる決断を下せば、同じ問題を二度考えずにすむ。
恋心というやつ、いくら罵りわめいたところで、おいそれと胸のとりでを出ていくものでありますまい。
恋をしてると、こんなにもバカになれるもんかしらね…
誰もがスターなのよ。みんな輝く権利を持っている。
何を捨てるかで誇りが問われ、何を守るかで愛情が問われる。
あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。