逆境は嫌いじゃない。それを乗り越えた先にある景色は絶対にいいはずだと信じている。
健康で、借金がなくて、しっかりした意識があるという幸福以外に、いったい何が必要だというのだ。
自分の他に、 敵は存在しません。
一度しかないこの人生で自分の夢を追いかけないでいつ追いかけるのだろう。
ネットで心が失われたという大人が多い。そんな大人達にネットで飛躍的に拡大されている善意の輪を見て欲しい。
選択したのちにその道を正解につくりあげていくのです。
一見、自分にとってなくてはならないと思えるものが実は足枷になっているのです。
おれがなるって決めたんだから その為に戦って死ぬんなら別にいい
愛されることより愛することを。理解されることよりは理解することを。
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である。
ささいなことが完璧を生む。しかし、完璧はささいなことではない。
幸福のこんな定義を聞いたことがあります。「幸福とは、健康と物忘れの早さである」ですって!わたしが思いつきたかったくらいだわ。だって、それは真実だもの。
進歩が生まれるのは、多様性の中の選択からであって、画一性を保持するからではない。
自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。
苦労から抜け出したいなら、肩の力を抜くことを覚えなさい。
勝負では、知っていることに自分の思考とか、アイデアをプラスしないと意味がないのですが、知っているというその一点だけで、有利になるということもよくあるんです。
心、常に、道を離れず。
悲しみも、喜びも、感動も、落胆も常に素直に味わう事が大事だ。
少なくとも、セオリー通りの安全な道ばかり歩いていては、生きがいなんか生まれませんよ。ときには冒険も必要です。周囲の批判を恐れず、「俺はできるんだ」とやり抜く – それが男のロマンでしょう。
我が行いを見習えと、誰にでも言い得るよう行為せよ。
どんな愚かな者でも、他人の短所を指摘できる。そして、たいていの愚かな者が、それをやりたがる。
もし世の中の人の苦しみに、一々足を止めていた日には、人は生きて行かれないだろう。どんな幸福も、他の人間の苦悩を食って生きているのだ。
猫は絶対的な正直さを持っている。
一個人がいかに富んでいても、社会全体が貧乏であったら、その人の幸福は保証されない。その事業が個人を利するだけでなく、多数社会を利してゆくのでなければ、決して正しい商売とはいえない。
人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力あり、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富む。
人間は、苦しめられ打ち負かされる時、なにかを学ぶチャンスを得る。
人々が私に賛成するときはいつも、私は自分が間違っているに違いないと感じる。
人生の悲劇の第一幕は、親子となったことに始まっている。
道徳は常に古着である。
謙虚さを失った確信は、これはもう確信とはいえず、慢心になってしまいます。