よくマンネリと言われたけど、僕は笑いにはマンネリは絶対に必要だと思う。お客さんにすれば、「たぶんこうするよ、ほらやった」と自分も一緒になって喜ぶ笑いと、「意表を突かれた、そう来たか」とびっくりする笑いの2種類あると思う。全部意表を突かれてしまうと、お客さんも見ていて疲れてしまうだろう。
テレビでも、あまりに普通の人が普通のことをやりすぎている。そんなのはおもしろくない。変わった人、珍しい人、平凡な人、少し狂気のようなものを感じる人。それを見たいから世間の人はテレビや舞台を見る。芸人はもともと変わってるんだ。僕たちはそれでいいんだ。
科学的に証明されているかどうかはわからないけど、どんな形にしろ出会った人の個性とか持ってるものが自分の中に宿るっていう現象があるような気がしていて、僕は今回それを言いたかったんです。誰かと会った時点で確実に自分は変革されている、と。
銀の波を泳いできました。ああさっぱりした。ある夜、眼前に拡がる麦畑のうねに飛び込んでいき、一時間ほど抜き手で泳ぐように走り回った後で。
女なんてものはな!
札ビラでひっぱたきゃついてくるもんよ
もうお前に会えないぜ。俺の行くのは地獄だしな…あばよ!!
家庭は、民族の幸運と不運の源泉である。
私たちの最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。
人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ。
勝負の世界では、「これでよし」と消極的な姿勢になることが一番怖い。常に前進を目ざさないと、そこでストップし、後退が始まってしまう。
生業に貴賤はないけど、生き方に貴賤があるねえ。
多勢は勢ひをたのみ、少数は一つの心に働く。
どんなトラブルが起きても微動だにしない。そんなレベルに達するまで人生の修行は続きます。弱音を吐かず覚悟を決めて。
宿命とは人生の青写真・設計図。心がけ次第で設計変更できるもの。その設計図を自分の意思と力で実現していくのが運命。運命は自分で切り開く。
いったん動機づけを与えられると、どん底にいた人間ほど、見ちがえるように変わることができる。
一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ。
青年時代に悲観していてはいけません。徹底的に戦うのです。
近代文明を讃美するのは、だいたいにおいて蒸気機関や電信を文明だと思いこんでいる連中である。
夫が妻にとって大事なのは、ただ夫が留守の時だけである。
コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない。
理想主義者と現実主義者は、彼らが誠実で寛容でありさえすれば、その本質はおなじく、人類への愛であり、その対象はおなじく、人間であり、違っているのは、対象を表示する形式ばかりである。
神経病や神経病患者の数が増えたのではない。神経病に眼の肥えた医者が増えたのだ。
支配することが最も少ない政府が、最良の政府である。
恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意志だと思う。
夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る。
時勢は利によって動くものだ。議論によっては動かぬ。
正当以上の卑屈な努力までする必要はない。
一日一日を始める最良の方法は、目覚めの際に、今日は少なくとも一人の人間に、一つの喜びを与えることができないだろうかと、考えることである。
自分自身の道を迷って歩いている子供や青年のほうが、他人の道を間違いなく歩いている人々よりも好ましく思う。
幸福な人間とは、自分の人生の終わりを始めにつなぐことのできる人のことである。