時には過ちを犯してしまうこともきっとあるだろう。だけど過ちにさえ自分のこの体でぶつかってひとつひとつの物事を自分で解き明かしていかなければ、新しい第一歩は踏み出せないような気がするんだ。そのために傷つくことも多いかもしれない。そのために命を落としてしまうかもしれない。ただ、俺は新しい第一歩のためにこの命をかける。それが俺の生き方だ。笑いたい奴は笑え 俺を信じる奴はついて来い。俺は真実を求め歩き続けるお前らを愛している。
正義を金で計算しようというのは間違いのもとである。
敗北した時は、それを計画の不確実さを知らせる信号として受け入れよ。そして計画を練り直し、念願のゴールに向けて再び帆を掲げよ。
待っていてはだめだ。完璧な好機など永遠に来ない。
幸せな人は誰でも、他の人をも幸せにするでしょう。
この世を動かす力は希望である。やがて成長して新しい種子が得られるという希望がなければ、農夫は畠に種をまかない。子供が生まれるという希望がなければ、若者は結婚できない。利益が得られるという希望がなければ、商人は商売にとりかからない。
企業経営のエッセンスは、何かに「卓越」することと、「決断」することである。
もし人生に退屈しているなら、何か心からやり甲斐があると信じている仕事に没頭することだ。「この仕事こそ生き甲斐だ、死んでも悔いはない」という気持ちで働けば、夢のような幸福な人生が訪れる。
日々生まれ変わるのに忙しくない人は、日々死ぬのに忙しい。
着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ。
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される。
みんな、私の着ているものを見て笑ったわ。でもそれが私の成功の鍵。みんなと同じ格好をしなかったからよ。
成功の80%は、その場に現れること。
感覚は、偽りの見せかけで理性をたぶらかす。
小さな白い球との長い戦いが終わったことを知りました。
われわれは自分の言葉を統御していると考えているが、しかし、われわれが言葉によって支配され統御されているのである。
外と中と両方から見ろ。それを学問的にいうならば、科学的に考えると同時に、哲学的に考えろと。哲学的に考えると、科学的な考え方がおろそかになるし、科学的に考えると、哲学的な考え方がおろそかになる。
金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし、勇気を失うことはすべてを失う。
発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ。
忘れてはいけない。偉大な人間になって、なにか立派なことを創造しようと思ったら、多くのことを断念することができなくてはならないということを。
生命の路は進歩への路だ。生命は死を怖れない。死の面前でも、笑いながら、踊りながら、滅びる人間を踏み越えて前進する。
世の中には地位を崇拝する人間もいるし、英雄を崇拝する人間もいる。また、権力を崇拝する人間もいるし、神を崇拝する人間もいる。そしてこうした架空のものをめぐって、彼らは議論をたたかわせている。しかし彼らの誰もが一様に崇拝しているのは、金だ。
人類から愛国心を叩き出さないかぎり、決して平穏な世界に住むことはできないだろう。
自然を感じるだろ…?強い風の前に立って自分達に向かって進んでくる雨を感じるのはなんて素晴らしいんだ。
女が再婚する場合、それは先夫を嫌っていたからだ。男が再婚する場合、それは先妻を熱愛していたからだ。
民衆の愚を発見するのは必ずしも誇るに足ることではない。が、我々自身も亦民衆であることを発見するのはともかくも誇るに足ることである。
迷う、ということは、一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる。
ただ、はつらつとした活動によってのみ、不愉快なことは克服される。
人生において重要なのは生きることであって、生きた結果ではない。