前回のオリンピックが終わって、それからいろんな人にこうやって祝福されればされるほど、「ああ、自分の気持ちってどこにあるんだろう?」って。そういうのはすごく思っていました。みんなが、周りがあまりにも幸せになりすぎてて、僕は「僕の幸せはなんなんだろう?」って。「僕ががんばってきたものって、本当に自分に還元されてるのかな?」って思うこともありました。
僕はまだほんの子供にすぎない。だからすぐに退屈してしまう。でもコンピュータには熱くなれる。
もはや何が起きようと揺らぐことのない、断固たる決意が必要なんだ。
まだ現役の漫画家である。バリバリとまではいかないが、ぼちぼちと仕事をしている。創作意欲とか、何を描きたいとか、そういう次元を超越してしまって、無意識のうちに描いている気がする。妖怪か背後霊のようなものが私にとりついて、描け描けと背中を押しているのかもしれないと思うほどだ。70歳をすぎたら悠悠自適でのんびり暮らす予定だったのに、いまでも結構忙しいのは、やはり憑き物が憑いているとしか思えない。でも、それは苦痛ではなく、幸いなことに楽しく、充実感があって愉快なのである。
いかなるものも変化しつつあります。これは真理です。だからあなたがいまどんな苦境にあろうとも、その状態を保持する努力をしない限り、永久に続くはずがないのです。
もし私が価値ある発見をしたのであれば、それは才能ではなく忍耐強く注意を払っていたことによるものだ。
チャンスを生かせ!人生にはチャンスが満ちあふれている。普通、成功する人はチャンスを生かそうとする人だ。
本当の教育は知性と美しさと善良さを組み合わせたものです。そしてこのうち一番大切なものは善良さです。
美しいものと醜いものはともにあると互いに引き立て合う。
一番いいと思えるものを簡単に、単純に考えることができれば、逆境からの突破口を見出せる。
夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。
満開となれば、やがて花は落ちる。太陽は南中すれば、やがて陰りはじめる。人は壮年を迎えれば、やがて老いていく。百年の間、必死で勉強すべきであり、ゆったりとくつろぐ暇などない。
気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし。
人は、四十になるまでに、土台を作らねばならぬ。
私たちは無知によって道に迷うことはない。自分が知っていると信じることによって迷うのだ。
過ぎ去ったものは、もはや再び帰らない。賢者は現在と未来について考えるだけで手一杯であるから、過ぎ去った事柄をくよくよ考えている暇がない。
駿馬(しゅんめ・しゅんば=足の速い優れた馬)は、一日に千里走ることができるが、鼠を捕まえることでは猫にはかなわない。
黙して隠された敵意は、公然と言われた敵意より恐れられるものだ。
宗教とは、我々の義務のすべてを神の命令とみなすことである。
怠け者はのろのろ歩いて貧乏神に追いつかれる。
「そのうちやる」という名の通りを歩いて行き、行き着くところは「なにもしない」という名札のかかった家である。
神への祈り、つまり精神性は上昇しようとする欲求であり、悪魔への祈り、つまり動物性は下降する悦びである。
できる者は実行する。できない者が教える。
自分を是(ただ)しいとしないから、きわだって見える。自分でほめないから成功し、誇らないからいつまでももちこたえる。
真言は美ならず、美言は真ならず。
苦しいという言葉だけはどんなことがあっても言わないでおこうじゃないか。
結婚生活はとてもよいものだ。しかしそれを習慣にしてしまうのは誤りだと思う。
人生には選ばなければならない瞬間がある。自分自身の人生を充分に、完全に、徹底的に生きるか、社会が偽善から要求する偽の、浅薄な、堕落した人生をだらだらと続けるかの、どちらかを。
友情には恋愛と同様に勘違いがある。