コントは、1人きりでやる落語とはちょっと違う。ドリフみたいにグループでいつも一緒にいる関係ならいいけど、僕と田代と桑野なんかの場合、毎日一緒にいるわけじゃない。せいぜい週に2日。それで当時は一緒にコントをやり始めたばかりだとなると、やっぱり一緒に飲みに行ったりしてワーワーやって、あうんの呼吸でコントをできるようにならないとダメだ。
新しい自分に出会いたいと思ってる時点で、もう出会ってる
金を失うことは、小さい事である。
男は口にだしたことはなにがあってもやらねばいかん
幸せの神様は泣き虫が嫌いなんだ
事業が成功するのは、ある特定のことに対して強い情熱を持つ人物が、「自分たちなら変えられる」「影響を及ぼすことができる」「もっとうまくできる」と思って事業を生んだ場合です。そして、エネルギーにあふれる創業者が事業を通じて得られる喜びを仲間に伝え、彼らも喜びを感じるようにする必要があります。
「どんな人だって成功できる」自分にそう何度も言い聞かせ続けていれば、絶対に成功できるのです。
私は、自分の障害を神に感謝しています。私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです。
芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから全ての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ。
すべてのものは、かぎられた量しかない。とくに幸福は。
若くなるには、時間がかかる。
逆境とは、天が自分の宝石を磨くときに使うダイヤの粉塵のことだ。
概してすべての大きな失敗の奥底には、うぬぼれが潜んでいる。
破廉恥に対する羞恥心も、美を求める努力も、ともに欠けているようでは、国家にしろ個人にしろ、偉大な美しい行為を果たすことはできない。
強い人間は自分の運命を嘆かない。
我々は眼の中に他人の欠点を、背中に自分の欠点を持つ。
棋士は無くてもいい商売だ。だからプロはファンにとって面白い将棋を指す義務がある。
モノマネから出発して、独創にまでのびていくのが、我々日本人のすぐれた性質であり、たくましい能力でもあるのです。
「俺が稼いだ金だから、俺に権力がある」。そんな考え方は流行らない。皆で分かち合うのが、家族の民主主義。
悔恨の情は、得意の折には熟睡し、失意のときには目を覚ますものである。
真に偉大な人間になるためには、人々の上に立つのではなく、彼らと共に立たなければならない。
ぼやぼやしてちゃいけないよ。人がつくった衛星が宇宙を飛んでる時代に、縁起がどうのこうの、日の良し悪しや占いが迷信がなんて、みんな自分自身に、消極的な暗示をかけているんですよ。
人はそれぞれ、自分のすることは申し分ないと思う。
多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。いろんな檻というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる。
アダムはリンゴを食べたかったから食べたのではない。禁じられていたからこそ、食べたのだ。
誰に打ち明けたらいいのでしょう?誰に訴えたらいいのでしょう?誰と一緒に喜んだらいいのでしょう?人間は誰かをしっかりと愛していなければなりません。
慎重もええが、思いきったところがなきゃいかん。慎重は下僚の美徳じゃ。大胆は大将の美徳じゃ。
物事は、初めはきまって少数の人によって、ときにはただ一人で始められるものである。
恋愛の徴候の一つは彼女に似た顔を発見することに極度に鋭敏になることである。
人を愛するには、相手の魂に向かって旅をしなければならない