どうして5分で分かることを45分もかけて教えるんだろう。授業がつまらない
合宿の時だったんですけど、浅田選手がトリプルアクセルを跳んでいて。「タイミングで跳んでいる」というのを、すごく感じたんですよね。やっぱり生で見るのとテレビで見るのとはまた違っていて、その感覚というかイメージが無意識に入っていった。そのおかげで僕もトリプルアクセルを跳べたのかなと思いますね。浅田さんがトリプルアクセルを跳んでるのを自分の体で具現化するというか、想像と一致させるようにすると跳べてましたね。
信じられるものがなくなりつつある。今の日本には、ひょっとしたらそんな雰囲気もあるかもしれません。でもやっぱり、1人ひとりの持っている力を信じて、「信じること」そのものが大きな力になる、そう思いたくてメッセージを書きました。
大同のそばでひなたぼっこをしている乞食の有する安心感は、もろもろの王様が欲しても得られないものである。
自分の他に、 敵は存在しません。
オヤジもここへきて、よーやくカントクらしくなってきたな!
私は特別な人間ではない。強いて言うなら普通の人よりもちょっと努力しただけだ。
諸君の精力と思考とを、自分の使命に集中させよ!なすべきことを、とことんまでやりぬけ。あらゆる改善をし、あらゆることに精通し、なすべき仕事を完璧にマスターせよ!
深い思いやりから出る感謝の言葉をふりまきながら日々を過ごす。これが友を作り、人を動かす妙諦である。
音楽における自由というのは、自分の好みや気持ちに合わせて、規則を破れるように規則を知っている能力だ。
世論に対して関心を示さないのは、まさに一つの力であり、幸福の源泉である。
英雄はその目的が達成されないときには悪党や盗人とみなされるものだ。世の中の人から馬鹿にされ、虐げられたときにこそ、真の英雄かどうかがわかる。
昔時の名将は、暑日に扇をとらず、寒日に衣をかさねず、雨の日に笠を用いずして、士卒への礼とす。
明日に死を迎えるとしても、今日から幸福になって遅くないのです。
人間は、たとえ相手が自分の一番関心のある目標に導いてくれる指導者であっても、自分の気持ちを理解してくれない者には、ついて行かない。
誰かが僕を撃つつもりなら、今日やるべきだ。
上手に別れられるなどということは、まったく稀なのだ。そういうのは、ちゃんとうまくいっていたら、別れたりはしやしない。
分別よりも愚行の方が、とかく仲間や追随者を呼び寄せるものだ。
日の輝きと暴風雨とは、同じ空の違った表情にすぎない。運命は、甘いものにせよ、苦いものにせよ、好ましい糧として役立てよう。
目隠しした馬の様に範囲の限定された目的は、必ずその持ち主の視野を狭くする。
今はないものについて考えるときではない。今あるもので、何ができるかを考えるときである。
人類史上の進歩のほとんどは、不可能を受け入れなかった人々によって達成された。
人間の生活は矛盾だらけだ。それに耐え、そのマイナス面をプラスの面に転化してゆくこと。それが創ることなんだね。
河や海が数知れぬ渓流の注ぐところとなるのは、身を低きに置くからである。その故に、河や海はもろもろの渓流に君臨することができる。
救急法のクラスで習ったんですけど、もし誰かの気持ちを傷つけたら、一番いい治療法はただちにあやまることです…
人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ。
今は力を培養するときだ。その時機を辛抱できぬのは男ではない。
「正義」は実現する。私たちの存在と心が、十分に強くなったときに。
自分のためだけに心の狭い楽しみを、ひたすら追い求めた結果訪れる幸福は、次元の低い幸福だけである。広い考え方を持ち、自分ばかりでなく、世の中の他の人々にも関心を示してはじめて、大いなるものと歩調を共にするような、次元の高い幸福を手にすることができる。
危機に直面すると、ものごとがよく見えてくる。