人生は、何と素晴らしいものだろう。幾多もの困難はある。しかし、それらを乗り越える勇気と努力を惜しまなければ、何時か必ず良き事が起こる。
ネットで心が失われたという大人が多い。そんな大人達にネットで飛躍的に拡大されている善意の輪を見て欲しい。
君たちは強い!!
人間つまずくことは恥ずかしいことじゃない
立ち上がれないことが恥ずかしい
わしは互いの眼を見て 話し合いをしたいのだ!
幸せの神様は泣き虫が嫌いなんだ
まだ現役の漫画家である。バリバリとまではいかないが、ぼちぼちと仕事をしている。創作意欲とか、何を描きたいとか、そういう次元を超越してしまって、無意識のうちに描いている気がする。妖怪か背後霊のようなものが私にとりついて、描け描けと背中を押しているのかもしれないと思うほどだ。70歳をすぎたら悠悠自適でのんびり暮らす予定だったのに、いまでも結構忙しいのは、やはり憑き物が憑いているとしか思えない。でも、それは苦痛ではなく、幸いなことに楽しく、充実感があって愉快なのである。
身を切るような体験を通して、私たちは学んだ。合理的に思考したからといって、社会生活に生じる問題が全て解決できるわけではない、ということを。
良い結婚よりも、美しく、友情があり、魅力的な関係や団体、集まりはない。
もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、それは神がその人たちを愛していないからではなく、あなたが、そして私が与えなかったからです。
どんな行動にも、必ずそれと等しい反対の反応があるものである。
大学なんて老人ホームみたいなもんだ。ただ、大学で死んでしまう人のほうが多いけどね。
いかに知識を身につけたとしても全知全能になることなどはできないが、勉強しない人々とは天地ほどの開きができる。
人生は短いのではない。我々がそれを短くしているのだ。
武士は己を知る者のために死す。
人のまねをせずに、その身に応じ、武器は自分の使いやすいものでなければならぬ。
事故の原因は、事故そのものよりも興味深い。
たとえ神とは何であるか知らなくても、神をあがめることを知らない民族ほど野蛮な民族はない。
いかなる政府も、手ごわい野党なくしては長く安定することはできない。
自分を殺そうとした人間との仲は、もうけっして完全にはもとどおりにはならない。
今、我々に必要なのは何か。それは満足感ではない。勇気だ!
行き詰まりは展開の一歩である。
一人の女しか愛さない男はしばしばもっとも幸福な生活を送るが、死ぬときはもっとも孤独な死に方をする。
敵が間違いを犯している時は、邪魔するな。
善は決して失敗することのない唯一の投資である。
情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ。
学を絶てば憂いなし。
生きるとは、この世でいちばん稀なことだ。たいていの人は、ただ存在しているだけである。
新聞を読まなくなってから、私は心がのびのびし、実に気持ちが良いです。人々は他人のすることばかり気にかけて、自分の手近の義務を忘れがちです。
あの人が私を愛してから、自分が自分にとってどれほど価値あるものになったことだろう。