人生は、何と素晴らしいものだろう。幾多もの困難はある。しかし、それらを乗り越える勇気と努力を惜しまなければ、何時か必ず良き事が起こる。
当時、外国ではすでにラジオは実用の段階に入っており、報道・娯楽の機関として不可欠の地位を占めていた。わが国でも愛宕山に放送局(NHK)が開設される運びで、一部の電気器具店や輸入商ではラジオ機械の研究に手を付け始めていた。アメリカ製のラジオは貴重なものだった。事業は常に新しいアイデアで他より一歩先にと新分野を開拓していかなければ、とうてい成功は望めない。私はたまたま買い入れたこの鉱石ラジオセットに異様なまでに関心を寄せた。
試合開始早々、何本かシュートを外しても「おい、今日はどうしたんだ」と考えるのではなく、「よし、リズムは掴めているぞ。これからだ」と楽に捉えられるかが大事なんだ。
大学なんて老人ホームみたいなもんだ。ただ、大学で死んでしまう人のほうが多いけどね。
幸せとは、視野の広い深遠な知識をもつことです。その知識とは、嘘と真実、低俗なものと高尚なものを見分ける力です。
母から一つの人生観を与えられました。他者を優先しないのは、恥ずべきことでした。自制心を保てないのも、恥ずべきことでした。
人生は生きるに値するか?それはひとえに肝臓にかかっている。
明確な目的があれば、起伏の多い道でも前進できる。目的がないと、平坦な道でも前進できない。
医術は患者を慰めることにあり、自然は病気を治す。
漫画に必要なのは風刺と告発の精神である。
才に傲りてもって人に驕らず、寵をもって威を作さず。
一年後の成功を想像すると日々の地味な作業に取り組むことができる。
人は手に入れているものよりも期待するものを喜ぶ。
私たちの人間性は、私たちの内部に動く神性を除くと、貧弱なものである。
へつらいとは、悪徳の侍女なり。
科学とは体系化された知識で、知恵とは整理された生活である。
人と話をする時は、その人自身のことを話題にせよ。そうすれば、相手は何時間でもこちらの話を聞いてくれる。
敵が不幸な時は、私にとっては敵ではない。
教養と知識は別物だ。危険だと思われるのは、勉強していくにつれて陥るあの呪われた知識というやつである。どんなものもみな、頭を通らなくては気がすまなくなる。
名声は霧、人気は偶然の出来事。この世でただ一つ確実なもの、それは忘却。
近代文明を讃美するのは、だいたいにおいて蒸気機関や電信を文明だと思いこんでいる連中である。
あまり他人の同情を求めると、軽蔑という景品がついてくる。
ものになるならないは、実に一寸した処で決まるのだ。昨日までものにならなかった人が、今日ちゃんとものになっていた。そう言う事実を自分は何度か見た。
みんなのために自発的にいのちを捨てること、みんなのために十字架にのぼり、火刑の火の中に入ることは、個性が最も強度に発達したときに初めてできることである。
幸福は幸福の中にあるのではなく、それを手に入れる過程の中だけにある。
幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である。
純粋論理学は精神の破滅です。
我々を走らせる軌道は、機関車にはわかっていないように我々自身にもわかっていない。この軌道もおそらくはトンネルや鉄橋に通じていることであろう。
私は、本当に好きな物事しか続けられないと確信している。何が好きなのかを探しなさい。あなたの仕事にも、恋人にも。
当時は分からなかったが、アップル社に解雇されたことは、私の人生で起こった最良の出来事だったと後に分かった。成功者であることの重さが、再び創始者になることの身軽さに置き換わったのだ。何事につけても不確かさは増したが、私は解放され、人生の中で最も創造的な時期を迎えた。