みんなの笑顔が見たいから。
そうだ、人生はすばらしい。――何より大切なのは勇気だ。想像力だ。
聴く人がいなきゃ、俺なんかクソなのよ!
子供が時間など気にするんじゃない!
徹底的に遊べ!
私は天災のためとはいえ、一度は東京の事業につまずきもした。また、血涙のにじむような経営苦にあえいだことも一再ならずあった。そして自身は生死の巷(ちまた)をさまよい、肉親の何人かを不慮の厄災に失っている。しかし、現在の私が、広く社会と諸々の人たちから数え切れぬほどの恩恵を受けて事業一筋に生きていける幸福を思うと、ひとしお感謝の念が湧いてくるのである。
人間が恋に落ちるのは重力のせいではない。
勤勉と怠惰では、勤勉のほうが価値があります。しかし勤勉はそれだけでは成功の要素とはなりません。ときに怠惰が勝利を導くこともあることを記憶しなさい。
人生において、多くの人が何をすべきかを知っているが、それを実際に行う人はほとんどいない。知っているだけでは不十分だ。行動を起こさなければならない。
この世で最も美しいものは、最も無用のものである。たとえば孔雀と百合をみよ。
めったに使われない思考の自由の代償として、人々は言論の自由を要求する。
功のあった人には禄を与えて、能力のある人には位を与えよ。
人生は短い。わずかな時しか生きられないからというよりも、そのわずかな時のあいだにも、私たちは人生を楽しむ時をほとんど持たないからだ。
己自身を熱愛する人間は実は公共の敵である。
人間の美徳はすべてその実践と経験によっておのずと増え、強まるのである。
真の和解はただ単に過去を忘れ去ることではない。
成功とは、失敗を重ねても、やる気を失わないでいられる才能である。
愛することから始めて反感にいたるときには、愛に戻ることはけっしてない。
不幸なときにこそ、人は道徳的になる。
空腹は世界中で最上の調味料である。
たえず続く夢というものはありません。どんな夢でも新しい夢に代わられます。どんな夢でも固執しようとしてはなりません。
人間の価値は、絶望的な敗北に直面して、いかにふるまうかにかかっている。
自らそうであると信じるもの - それが自分自身である。
忙しさにこれで十分ということはない。蟻も忙しいのだ。問題は、何にそんなに忙しいのかということである。
てれくさくて言えないというのは、つまりは自分を大事にしているからだ。
駄目な男というものは、幸福を受け取るに当たってさえ、下手くそを極めるものである。
愛には三種類ある。美しい愛、献身的な愛、活動的な愛。
他人の記録を塗り替えるのは7割、8割の力でも可能だが、自分の記録を塗り替えるには10以上の力が必要だ。
どんな問題も逃げきれないほど大きかったりむずかしかったりはしない!
好人物は何よりも先に、天上の神に似たものである。第一に、歓喜を語るに良い。第二に、不平を訴えるのに良い。第三に、いてもいなくても良い。
我々を走らせる軌道は、機関車にはわかっていないように我々自身にもわかっていない。この軌道もおそらくはトンネルや鉄橋に通じていることであろう。