将棋に巡り合えたのは運命だったのかなとは思いますし、強くなることが使命…、使命までいくかわからないですけど、自分のすべきことだと思います。
マンネリで大いに結構。ほかの人はマンネリまでいかないじゃないですか。定番があるのは全然恥ずかしいことじゃない。ドリフも僕のバカ殿も変なおじさんも、必死でネタ作って、とことん何年もやり続けてきたわけだから。みんなマンネリの域まで達してみろって。
俺には夜がない。昼、昼でダブル太陽よ。
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。
頑張る前に頑張るに値するかを問え。
ある偶然の出来事を維持しようとする不幸な試みを結婚という。
最もひどい貧困とは、孤独であり、愛されていないという思いなのです。
新しいことにぶつかっても、基本を身につけていたので、すべてを理解することができた。
人生の価値は時間の長さではなく、その使い方で決まる。長生きをしてもむなしい人もいる。
収入は、靴のようなものである。小さすぎれば、われわれを締めつけ、わずらわす。大きすぎれば、つまずきや踏み外しの原因となるのだ。
人間にとって苦悩に負けることは恥ではない。快楽に負けることこそ恥である。
勝負の世界では、「これでよし」と消極的な姿勢になることが一番怖い。常に前進を目ざさないと、そこでストップし、後退が始まってしまう。
人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。
心が充分に強くなければ、我々は容易に自分の才能の奴隷になってしまいます。
派手に見えれば見えるほど、裏で地味な努力をしているのがあらゆる世界のプロだ。
面と向って人を褒めたがるやつは、影に回ると悪口を言いたがる。
未来の一番いいところは、一度に一日しかやってこないことだ。
自分が努力して名をあげる望みのない者は、人が自分の位置まで落ちるのを喜ぶ。
常に継続してやっていれば、素晴らしいことが出来るようになる。
どこにおける不正であっても、あらゆるところの公正への脅威となる。
人間には不幸か、貧乏か、病気が必要だ。でないと人間はすぐに思いあがる。
世界は一度だけ創造されたのではなく、独創的な芸術家が出現したのと同じ回数だけ度々作り直されたのである。
人生は幾度かの死と、幾度かの復活の一続きである。
人に勝つという価値観では野球をやっていない。
自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身をまもるために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ。
ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感。
ある程度までのところ、所有が人間をいっそう独立的に自由にするが、一段と進むと所有が主人となり、所有者が奴隷となる。
顧客はより幸せでよりよい人生を夢見ている。製品を売ろうとするのではなく、彼らの人生を豊かにするのだ。
腰を下ろして休むことは、絶対にすすめられない。