自分自身の絶対条件がクリア出来れば、その他の項目には目をつぶる。人間の欲望や要求にはきりがない。「三割満足で十分」でいけば、世の中腹の立つことも少なくなるだろうし、けっこう丸く収まると思う。
マンネリで大いに結構。ほかの人はマンネリまでいかないじゃないですか。定番があるのは全然恥ずかしいことじゃない。ドリフも僕のバカ殿も変なおじさんも、必死でネタ作って、とことん何年もやり続けてきたわけだから。みんなマンネリの域まで達してみろって。
私をうしろに乗せて1番ティグラウンドまで、ノンストップで走ってくれませんか?
もしどの道を行けば良いのか、迷っているなら、(心配するな) どの道でもそこにたどり着けるさ。
おれがなるって決めたんだから その為に戦って死ぬんなら別にいい
わしは互いの眼を見て 話し合いをしたいのだ!
情報は知識にならない。経験が知識になる。
どんな企業でも、お金を必要とするときが危険なのではなく、成功して楽に資金が調達できるようになったときこそ、危険なのである。
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。
芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから全ての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ。
男の人に小鳥の重さほどの負担もかけたいと思ったことはないわ。
生物学的に考察すると、人間は最も恐ろしい猛獣であり、しかも、同じ種族を組織的に餌食にする唯一の猛獣である。
真の友愛においては、私は友を自分の方に引き寄せるよりも、むしろ自分を友に与える。
圧力がなければ、ダイヤモンドは生まれない。
事を成し遂げる者は愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない。
叱ることと怒ることは違います。叱るとは怒りの感情を抑え、子供のためになることを子供が理解できる言い方で説得すること。子育てに必要なのは、愛情と理性。
無知は決して悪を生まない。危険な罪悪を生むのはただ誤謬の懸念である。
駿馬(しゅんめ・しゅんば=足の速い優れた馬)は、一日に千里走ることができるが、鼠を捕まえることでは猫にはかなわない。
私は、怒りは正しいと信じている。聖書にも怒るべき時がある、と書いてあるではないか。
抜け出る最良の方法は、常にやり通すことだ。
神と悪魔が戦っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。
説明しなければ理解できないような美に対して、私はあまり寛容でない。もし創作者以外の誰かによって、その美について補足説明が必要ならば、私はそれが果たして目的を達成したと言えるのだろうかと疑う。
楽観主義者はドーナツを見て、悲観主義者はその穴をみる。
誰でも愛される価値がある。もっとも、「自分こそそうだ」と思い上がっている者は別だ。
「それは私の責任です」ということが言い切れてこそ、責任者たりうる。
重要なことに集中する唯一の方法は「ノー」と言うことだ。
どこに行こうとしているのかわからないのに、決して遠くまで行けるものではない。
人生を生きるには、修練が必要です。「まずまずの目的、過ち多き行為、ぐらぐらしている意志」のうちに人生をうやむやに過ごしてはなりません
私は、人の想いというものが言葉に変わることで無駄になっているように思います。人の想いは皆、結果を生みだす行動に変わるべきだと思います。
命を奪われた男たちの前に立って思う。生きている限り、彼らを死に追いやった相手と戦い続けると