20代のころは「早く歳を取りたいな」という思いはありました。いい歳した大人がバカをやるからカッコいい、いい笑いになるんでね。50歳はまだまだで60歳を過ぎたいま頃からがそろそろかなと。と言いつつ、実際にそうなると、実感がわかないんですよ。酒量もあまり減らないし。やってることも、若いころと何一つ変わってないですからね。
太陽の強さを吸収するためだ。
時には過ちを犯してしまうこともきっとあるだろう。だけど過ちにさえ自分のこの体でぶつかってひとつひとつの物事を自分で解き明かしていかなければ、新しい第一歩は踏み出せないような気がするんだ。そのために傷つくことも多いかもしれない。そのために命を落としてしまうかもしれない。ただ、俺は新しい第一歩のためにこの命をかける。それが俺の生き方だ。笑いたい奴は笑え 俺を信じる奴はついて来い。俺は真実を求め歩き続けるお前らを愛している。
オッ、オヤジがさ・・・こわがってるやつはつかまるトコをさがしてる。つかまらせてやれなんていうからさ・・・オレの手を重しにしてヒコーキぐらいこわがんなよ!
世の常識を授けてくれる学校は大事な場所だ。しかし、学校の成績は下がるかもしれないけれども、興味を持ったり、心を動かされたりしたことは、周りからどんなにくだらないと言われても、とことん突き詰めるのは本当にいいことだ。
30年に渡って女性心理を研究してきたにもかかわらず解答の出せない問題は「女性が何を求めているか」である。
発明とは、それが人類にとって本当に必要なものなのかを判断する能力である。
一杯のコーヒーはインスピレーションを与え、一杯のブランデーは苦悩を取り除く。
あなたがやりたくないことを他人に頼むのは、フェアではありません。
メイクしなくていい日はいつだって素敵な日ね。
読書のコツは拾い読みにある。従って、賢明になるコツは何を捨てるかを知る術にある。
目に見える水の流れは、地下を流れる水の量に比べると本当に少ないのと同じように、目に見える理想主義は、世の中の人々が心の中に閉じこめ、殆ど出さないでいる理想主義に比べると本当に小さなものだ。閉ざされているものを放ち、地下水を地表に導く。人々はそれができる人が現れることを待ち焦がれている。
沈黙は偉大な事柄を形づくる要素である。
真の生活は、自己否定が始まるときに開始される。
人間は、自分の頭脳や心を養うためよりも何千倍も多く、富を得るために心を使っている。しかし、私達の幸福の為に役立つものは、疑いもなく人間が外に持っているものよりも、内に持っているものなのだ。
学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。
己を尽くして人を咎めず。我が誠の足らざるを常にたずぬるべし。我を愛する心を以って人を愛せ。自己を許すが如く人を許せ。人を責めるが如く自己を責めよ。
とかく他人にきびしく、自分自身に寛大なのは凡人の常だ。
始めうまくいったものは半分できたも同然。
白人にいつもいつも「イエス」と言うのをやめ、自分自身への嫌悪を振り切った時、我々は自由への道を歩き始める。
私は楽観主義者だ。それ以外のものであることは、あまり役に立たないようだ。
もし新聞がなかったら、フランス革命は起こらなかっただろう。
自分でも何かのお役に立つのだ。このことは喜びである。この喜びは自分の一生が、無意味でないことを示している。このことを幸福に感じるのである。
愚者は教えたがり、賢者は学びたがる。
人と一緒に暮らしている時は、あなたが孤独な生活で知ったことを忘れてはならない。また一人きりになった時には、人間との交流によって知ったことをよく検討してみることである。
「誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう」僕は60年代にそう予言したけど、それはすでに現実になった。僕はもう、この言葉には飽き飽きしているんだ。もう二度と言わない。これからはこう言う。「誰もが15分以内に有名人になれる、そんな時代が来るだろう」。
天才の一面は明らかに醜聞を起し得る才能である。
夕方、私は千匹のハエを殺した。それなのに、早朝、私は一匹のハエに起こされた。
愛というのは、その人の過ちや自分との意見の対立を許してあげられること
人を愛するには、相手の魂に向かって旅をしなければならない