一番嫌いなのはおもしろいコントをダーッと並べられることだ。お笑いは並べる順番というか計算が大事だから、そこがわからない人に構成されると、逆に本当につまらないものになっちゃう。
秘訣は、きつい練習を、たくさんすることだね。
私はつらい人生より死を選ぶ。
まだまだだ。まだまだ全く満足出来ない。自分の未熟さが目に付いて仕方ない。満足してしまったら、そこで成長が止まる気がする。
たださ・・・オレあのヒトたちにすげー親切にしてもらったんだ・・・・・<br>もしもオレががんばれば、あのヒトたち助かるんなら・・・<br>はは・・・別にいいかな!なんてよ・・・
あらゆる真実は一度発見されれば理解するのは容易だ。肝心なのは真実を発見することだ。
すぐれた記憶は弱い判断力と結びやすい。
戦争は誰が正しいかを決めるのではない。誰が生き残るかを決めるのだ。
何を考え、何を知り、何を信じているかは、結局は取るに足らないことだ。唯一重要だと言えるのは、何をするかだ。
自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。
人間には二通りあると思っている。不利な状況を喜べる人間と、喜べない人間だ。
理想としては、勝負を超越した心境の中で将棋を指すことなんです。
大事なことを任された者は、才能を頼みとするようでは駄目である。知識を頼みとするようでも駄目である。必ず志を立てて、やる気を出し努力することによって上手くいくのである。
だいたいにおいて世間の毀誉(悪口と称賛)というものは、あてにならぬものである。
私たちの人間性は、私たちの内部に動く神性を除くと、貧弱なものである。
よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ。
金銭に対する欲は避くべし。富を愛するほどに狭量かつ卑しき精神はなし。
過去の歴史より、私は未来の夢のほうが好きだ。
裁判とは、心の強さが試される闘いであり、道義を守る力と道義にそむく力とのぶつかり合いなのだ。
激しく愛するには、数少なく愛さねばならぬという理由がどこにあろうか。
恋わずらいの人は、ある種の病人のように自分自身が医者になる。苦悩の原因をなした相手から癒してもらえることはないのだから、結局は、その苦悩の中に薬を見出すのである。
流れに逆らおうとしたところで無駄なことだ。流れに身をまかせれば、どんなに弱い人でも岸に流れ着く。
書物そのものは、君に幸福をもたらすわけではない。ただ書物は、君が君自身の中へ帰るのを助けてくれる。
祝日を待つように、あなたの回復を待ち望んでくれる人がいるなら、病気になるのも悪くはないものだ。
しばしば、直観が頼みの綱になる。
自分のしている事が、自分の目的(エンド)になっていない程苦しい事はない。
悪魔が私たちを誘惑するのではない。私たちが悪魔を誘惑するのだ。
苦労が人間を気高くするというのは、事実に反する。幸福が、時にはそうすることはあるが、苦労は大抵、人間をけちに意地悪くするものなのだ。
どちらも相手を通して、自分個人の目標を何か達成しようとするような夫婦関係はうまくいく。例えば妻が夫によって有名になろうとし、夫が妻を通して愛されようとするような場合である。
一つのことを、一生やり続けられると確信する日がくる。