お笑いみたいなものでも、常識を知らないと本当のツボというものがわからない。常識は基本線で、お笑いはその常識という基本線をひっくり返すところで、コントとして成り立っている。だから、笑えるワケよ。お笑いに限らず、常識をバカにする奴に、常識を超えたことは絶対に出来ない。
コンサートで自分のうちわを見つけるとやっぱり嬉しい。でも、メンバーのうちわすらも嬉しいの。俺が信頼してるメンバーを好きでいてくれる人達が沢山いることに喜びを感じる。
自分を信頼した者がそこにいるとしたら、不幸にさせたくないよね。
無難な人生を過ごしていないか。
もしおまへが。よくきいてくれ。ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき、おまへに無数の影と光の像があらはれる。おまへはそれを音にするのだ。みんなが町で暮らしたり、一日あそんでゐるときに、おまへはひとりであの石原の草を刈る。そのさびしさでおまへは音をつくるのだ。多くの侮辱や窮乏の、それらを噛んで歌ふのだ。
ゴール下は戦場だ!!自分のゴールは自分で死守しなければならん!!
絵が上手いとか、駆けっこが速いとか、泳ぎが上手いとか、勉強が駄目でもいいところを見つけて褒めてくれたり、伸ばそうとして励ましてくれたり、思えば優れた教師たちがいました。
嫉妬ほど、視覚を鋭敏にするものはない。
勇敢な行為は、決して勝利を欲しない。
成功に不可欠なのは、肉体的にも精神的にも疲労を溜めずに、ひとつの問題にエネルギーを注ぎ込める能力である。
私はじっとしている事が出来ない。探索し、実験していないとダメなのだ。私は自分の仕事に満足したことがない。私は自分の想像力の限界に憤る。
もう最期の時が告げているのを感じます。・・・自分の運命は変えられません。何ごとも摂理の欲するとおりになりましょう。
我々人間の意見の最も普遍の性質は多種多様ということである。
羞恥心はすべての人にまことにふさわしいものである。しかし、それを克服するすべを、そしてそれを決して失わないすべを心得ておかねばならない。
我慢は力よりも気高く、忍耐は美しさに勝る。
無実の人間を有罪にするより、罪ある人間を救う危険をおかすほうがよい。
小人は己を利せんと欲し、君子は民を利せんと欲す。己を利する者は私、民を利する者は公なり。公なる者は栄え、私なる者は亡ぶ。
いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。
勤勉は一つの美徳だが、ほかのあらゆる美徳を包含する。
盲目的な愛国心のせいで、現実を直視できないようになってはいけない。どんな人物がやろうとも、どんな人物が語ろうとも、間違ったものは間違っている。
誰でも幸福について語るが、それを知っているものは少ない。
どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。
どんな芸術家も最初は素人だった。
教育の秘訣は生徒を尊敬することにある。
純粋論理学は精神の破滅です。
歴史はたいてい役所仕事によって創作されるのです。
人間の最大の罪は不機嫌である。
人生は呑気な楽しい休日でも、気の利いたことが記されている書物でもありません