人は、泳げるようになりたいと願いながら、同時に片足を地面につけているものだ。
安定は愛を殺し、不安は愛をかきたてる。
欲する心にはすべてを開花させる力がある。所有したという事実はすべてをしぼませ枯らしてしまう。
発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ。
ある習慣の規則正しさは、その習慣のばかばかしさに比例する。
幸福は身体にとってはためになる。しかし、精神の力を発達させるものは悲しみだ。
我々の苦悩は、とことんまで経験することによってのみ癒される。
英知は受け売りでは身に付くものではない。自分自身で発見するものである。
不幸なときにこそ、人は道徳的になる。
病人というものは、正常な人よりも己の魂により近く迫るものだ。
世界は一度だけ創造されたのではなく、独創的な芸術家が出現したのと同じ回数だけ度々作り直されたのである。
真の楽園とは失われた楽園である。
恋わずらいの人は、ある種の病人のように自分自身が医者になる。苦悩の原因をなした相手から癒してもらえることはないのだから、結局は、その苦悩の中に薬を見出すのである。
私たちが情熱から解放されるのは、その情熱をとことん味わいつくした場合だけである。
我々の愛情が衰えるのは、相手が死んだためではなく、我々自身が死ぬからである。
上手に別れられるなどということは、まったく稀なのだ。そういうのは、ちゃんとうまくいっていたら、別れたりはしやしない。
愛が永遠でないという理由は、多分、記憶がいつも真実であると限らず、人生は細胞の絶えざる更新によって出来ているからであろう。
我々の忘却してしまったものこそ、ある存在をいちばん正しく我々に想起させるものである。
戦争を続けようとする者にもまた、戦争を始めた者と同様の罪があるのです。あるいはそれ以上の罪があるかもしれません、何故なら、真っ先に始めた方は恐らく戦争の惨禍をことごとく予想していたわけではありませんからね。
時は過ぎゆく。そして少しずつ、我々が口にしてきた嘘は、真実になる。
愛とは、心で測る時間と空間のことである。
美しい女たちのことは、想像力のない男たちに任せておこう。
愛するということは不運である。お伽話の中の人々のように、魔法が解けるまでそれに対してどうすることもできないのだ。