昔私は思っていたものだった恋愛詩なぞ愚劣なものだとけれどもいまでは恋愛をゆめみるほかに能がない。
ちひさな自分を劃(くぎ)ることのできない。この不可思議な大きな心象宙宇のなかで、もしも正しいねがひに燃えて、じぶんとひとと万象といつしよに、至上福祉にいたらうとするそれをある宗教情操とするならば、そのねがひから砕けまたは疲れ、じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする。この変態を恋愛といふ。
悲壮な顔をした人たちは、成功や栄誉や勝ち負けにこだわってばかりで、仕事でも趣味でも恋愛でも、熱中することを忘れてしまったんじゃないですか!好きなことに没頭する、そのこと自体が幸せなはずなのに……。もちろん、成功することに越したことはないが、成功できるかどうかは時の運です。
俺のライブに来てるやつらの顔を見てると結婚はおろか、 恋愛もまともにできないんじゃないかっていうような奴らばかり。 だけど、俺はそういう奴らのためにこそ「お笑い」をやりたい。
恋愛は完全に確率論、やらなきゃ何も始まらない
俗にいう不倫な恋愛関係が真実の愛であることもありえます。ただしそれは、相手が今の結婚が間違いであったことを認め、あなたと新しくやり直す気持ちを持っている場合です。
与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては。
大恋愛も、耐え忍ぶことが大切です。
恋をしたら全身全霊で相手を愛するべきだと思うわ。思い悩むことなんてない。そうね、恋愛については、わたしはどうしようもないロマンチストよ。
恋愛とはサメのようなものだ。常に前進してないと死んでしまう。
良い結婚は… 恋愛を同伴し、その性質を帯びることを拒む。むしろそれは、友愛の性質を模倣しようと務める。
恋愛で第一に大事なことは何かと聞かれたら、私は、好機をとらえることと答えるだろう。第二も同じ、第三もやはりそれだ。
恋愛は発狂ではないが、両者には共通点が多い。
恋されて恋するのは恋愛ではなく友愛である。
恋愛に年齢はない。それはいつでも生まれる。
人は恋愛を語ることによって恋愛するようになる。
恋愛がうまく行かない時は、良い仕事が来るもの。幸せを全部手に入れようとしたら命と引き換え。正負の法則であり地球の法則。
人は、実際の恋愛対象よりも、自分で心に描き出した相手の像の方を一層愛する。人がその愛する者を正確にあるがままに見るならば、もはや地上に恋は無くなるだろう。
恋愛は仕事のない人々の仕事である。
恋愛は、必ずどちらか一方がズルをするゲームだ。
宇宙をただ一人の者に縮め、ただ一人の者を神にまで広げること。それが恋愛である。
恋愛の厄介なのは、それが共犯者なしには済まされない罪悪だという点にある。
少しのきまじめさは恋愛においては結構だ。しかしあまり真面目すぎては困る。それは重荷であり、快楽でなくなる。
家庭はどこで始まるか?若い男と若い娘が恋愛に陥ることから始まる。これ以上立派な道は、まだ発見されていない。
恋愛とは女が男を追いかけることだ。女のほうはじっとしているのだから、女は男を待っているかのように見えるが、それはクモが無邪気なハエを網のほうへひきつけるのと同じやり方なのだ。
私は、ひとの恋愛談を聞く事は、あまり好きでない。恋愛談には、かならず、どこかに言い繕いがあるからである。
恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意志だと思う。
恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある。
恋人として男と女とが違う点は、女は一日中恋愛をしていられるが、男はときどきしかできないということである。
友情には恋愛と同様に勘違いがある。
恋愛は大臣の椅子のように、簡単に手に入れることのできない一つの幸せな未来である。
恋愛が与えうる最大の幸福は、愛する人の手をはじめて握ることである。
羞恥心の効用は、それが恋愛の母であるということである。
恋愛の徴候の一つは彼女に似た顔を発見することに極度に鋭敏になることである。
私は第三者を愛するために夫の目を盗んでいる女には、恋愛を感じないことはない。しかし第三者を愛するために子供を顧みない女には、満身の憎悪を感じている。
恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。少なくても詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない。
われわれを恋愛から救うものは、理性よりもむしろ多忙である。
恋愛感情の中には、いつも若干の狂気が潜んでいる。とは言っても、狂気の中にもまた、いつも若干の理性が潜んでいるものである。
復讐と恋愛においては、女は男よりも野蛮である。
初恋が唯一の恋愛だ、といわれるのは至言である。というのは、第二の恋愛では、また第二の恋愛によって、恋愛の最高の意味が失われるからである。