東日本大震災があって、色んな人に支えられているうちに考えが変わりました。五輪の金メダルは子どもの頃からの夢でしたが、それはあくまでも具体的な目標。だから五輪の金があって、そこからがスタートです。プロのショースケーターとしてスケートの魅力を伝えるとか、支援活動とか、色々と広げていくためのスタート。みんなに恩返しをしないといけない。
いっぱいあっていいと思うんですよ、夢って。絶対適性があるし、高い目標じゃなくても、低い目標だって夢って言えると思うので。
そして、次の目標が見つかったら、また私に背を向けて、どうぞ、その目標目指して、懸命に歩いて下さい。
もし君たちが、その旅の途中で道に迷ったら、どうか、私をふり返ってください。私はねぇ、この荒川のほとり、桜中学のこの教室にずうーといます。そして、次の目標が見つかったら、また私に背を向けて、どうぞ、その目標目指して、懸命に歩いて下さい。
俺らも別にドームでやること、国立競技場でやることだけを諸手を挙げて万々歳だとは思ってなくて・・・。それは、本当にありがたいことだとは思うけど、俺らはでかい会場だったり、記録だったりを目標にやってるグループじゃないから。
自ら犠牲になることをいとわない人は、心に決めた目標を必ず達成します。
物事を達成するためには、たとえそれが世俗的な目標のためであっても、奴隷じみた動物的な欲望から抜け出さなければなりません。
目標にある程度の目処がついたら、それを遥かに超える目標を立てる。さすれば再度興奮で武者震いしてくる。
過去の歴史を振り返ってみても、日本人は、ひとつの目標を「いいな」と思ったら、その目標の実現に向かって一丸となって協力できる国民です。かって戦争に負け、あれほどの痛手を日本中で負いながら、日本国民は今日まで生きてきました。それは、変化に対応できる能力と、心の強さがあったからです。
目標とは、締切期限付きの夢である。
この仕事にかぎらず、「いつまでも新人のような気持ちでいる」そう思うことが大切なような気がします。新人は出会うもの全て新鮮で先輩を尊敬し、目標に向かって突き進んでいけばいい。実に理想的精神状態です。
どんなでっけえ目標があったって!どんなエライヤツにだろうが!使い捨てられていい奴なんざ、この世にゼッテエいねえんだよ!!
我らの事業の完成は決して単なる個人の野心や自己満足だけでいいわけはない。事業の公共性という点から私は事業達成の目標は、より良く、より高い社会への奉仕と感謝の実行であると信じたいのである。
なにからなにまで一人でやるなんてムリ。目標達成のために人に助けを求めてもいいのよ。
あなたの成功や目標達成をじゃまする唯一のものとは、あなた自身の考えや心で思っていることです。
成功に必要なことをあえて一つ述べるとすれば、それは、「つねに願望や目標について考えることだ」と言うことに尽きると思います。なぜなら、私たちの人生は私たちの「思考」でつくられているからです。
自分の目標を低く設定する必要はない。また、自分の望み以下の物で満足しなければならない理由もない。
最も高い目標を達成するには、一歩一歩進むしかないという事実を、頭に入れておかなければならない。
よりよい成果が得られるのは、自分が一番好きな仕事をしているときだろう。だから、人生の目標は、自分が好きなことを選ぶべきなんだ。
障害がおそろしいものに見えるのは、目標から目を離すからだ。
やってみないうちから諦めるのかい?私たちは高い目標を持っているからこそ、これほど多くのことをやり遂げられるんだ。
人生で何かを達成したいと思うときは、積極的かつ、攻撃的にならなければならないと僕は自覚している。目標を決めたら、それに向かってひたすら努力するだけだ。何かを達成しようとする場合、受身の姿勢では絶対に達成することはできないと確信している。
目標を達成するには、全力で取り組む以外に方法はない。そこに近道はない。
すべてが目標に向かっての勉強なんだと自分に言い聞かせていた。
自分を評価するときは周囲の人を基準にするのではなく、目標までの距離で評価せよ。
どれほど信じがたい偉業を成し遂げた人も、第一歩はみな同じだ。すなわち、目標の設定である。
幸福は自己満足によってではなく、価値ある目標に忠実であることによって得られる。
大きな目標があるのに、小さなことにこだわるのは愚かです。
最大の危機は、目標が高すぎて失敗することではなく、低すぎる目標を達成することだ。
心は正しい目標をなくすと、偽りの目標にはけ口を向けるものだ。
目標のない人間は、舵のない船のようである。
長い目で見れば、目標を課し、規律をもって鍛える厳しい上司によって、部下ははるかに伸びていく。
コーチの第一義は、自信を無くしている、目標を失っている選手に、いかに意欲を出させるかということ。
リーダーシップとは人を動かす、先を読むこと。人を動かすのは生きがい、夢、希望、目標、目的、ビジョン、興味、関心。
役割がはっきりしていれば、あとは全員で目標を目指して前進するだけだ。難しいことは何もないだろう。
教育とは自然の性、すなわち天性に従うことでなければならない。国家あるいは社会のためを目標とし、国民や公民になす教育は、人の本性を傷つけるものである。
人間は、目標を追い求める動物である。目標へ到達しようと努力することによってのみ、人生が意味あるものとなる。
幸福は人生の意味および目標、人間存在の究極の目的であり狙いである。
成功の秘訣は、成功するまで目標から目を離さないことだ。
正しい心の姿勢を持っている人が、目標を達成するのを阻むものは何もない。間違った心の姿勢を持っている人を、助けられるものなど存在しない。
人間は、たとえ相手が自分の一番関心のある目標に導いてくれる指導者であっても、自分の気持ちを理解してくれない者には、ついて行かない。
成功するために大切なのは、どこから始めるのかではなく、どれだけ高く目標を定めるかである。
変転する状況のただ中で、ひとりの人間が終始一貫性を保つただひとつの可能性は、すべてを支配する不変の目標に忠実でありながら、状況に応じて変化することにある。
登山の目標は山頂と決まっている。しかし、人生の面白さはその山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹にある。
自分が心から偉大な目標だと思うものに身を捧げること。言い換えれば、自分自身が廃品同様にならないうちに心ゆくまで使い切ってしまうこと。これこそ「自然の力」であり、人生の真の喜びはここにある。
最初から、我々の目標は「すべての机と、すべての家庭にコンピュータを」だった。
しっかりと準備もしていないのに、目標を語る資格はない。
そりゃ、僕だって勉強や野球の練習は嫌いですよ。誰だってそうじゃないですか。つらいし、大抵はつまらないことの繰り返し。でも、僕は子供のころから、目標を持って努力するのが好きなんです。だってその努力が結果として出るのはうれしいじゃないですか。
夢は近づくと目標に変わる。
先のことを考えてもしょうがないわ。いますぐできる目標を立てることが大事なのよ。
計画のない目標は、ただの願い事にすぎない。
あるのは目標だけだ。道はない。われわれが道と呼んでいるのは、ためらいに他ならない。
いったん選んだ道に関して頑張る人は多い。目標に関してそうする人は少ない。
どちらも相手を通して、自分個人の目標を何か達成しようとするような夫婦関係はうまくいく。例えば妻が夫によって有名になろうとし、夫が妻を通して愛されようとするような場合である。
イノベーションは、研究開発費の額とは関係がない。アップル社がマックを開発したとき、米IBM社は少なくとも私たちの100倍の金額を研究開発に投じていた。大事なのは金ではない。抱えている人材を、いかに導いていくか、どれだけ目標を理解しているかが重要だ。
いつかは目標に通じる歩みを一歩一歩と運んでいくのでは足りない。その一歩一歩が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならないよ。
立派な目標と偉大な仕事をやり遂げる道は二つしかない。体力と耐久力である。体力はほんの一握りの恵まれた人間のものである。しかし厳しく身を守り、常に耐え抜くことは、ごく弱小な者でもできるし、たいていの場合目標を達成する。これは、彼の無言の力が時が経つにつれ、何ものにあってもへこたれないほど強力になるからだ。