30代に入ると独立を真剣に考えるようになりました。しかしその前に、誰にもできない仕事を達成してから辞めると決めたのです。そこで手を挙げたのが、モリダイラ楽器が販売する「モーリスギター」の再建でした。フォークブームで一世を風靡したブランドですが、海外の高級品と低価格の中国製ギターの板ばさみに遭うと同時に、ユーザーの音作りの嗜好の変化もあって、不振に陥っていたのです。工場閉鎖の話が出たとき、私は「自分にやらせてほしい」と、決死の覚悟で社長を買って出ました。
クロックスの日本法人を辞めた後、6ブランドからお誘いを受けましたが、すべてお断りしました。僕は100人が100人、「これなら絶対売れるよ」と言われるものは手がける気にならない。むしろ成功する可能性は50%くらいで、ほかの人は手を挙げないものの方が面白い。みんなが尻込みするものに挑戦すること自体に喜びを感じます。
大学卒業後はコンピュータ周辺機器会社に就職しましたが、父の引退を機にモリダイラ楽器へ転職。親の七光と思われるのは嫌だったので、いままで会社が手がけてこなかった事業に積極的にチャレンジしました。
独立を目指したのは、事業を興した父に対する尊敬と、それを越えたいというライバル心があったからです。
二代目は気楽でいいと思われるかもしれませんが、うまくいけば親の七光りと言われ、失敗すれば馬鹿息子と言われ、何もしなければ、親の財産で食っていると後ろ指をさされる(笑)。決して楽ではありません。
経営者の息子でも、贅沢とは無縁の生活でした。父は子供にお金を持たせると堕落すると考えていたようで、お小遣いは小学生のときは1日10円のみ。中学になって学校の帰りにみんなでアイスを食べるときも、一人で我慢していたことを思い出します。いまだにお金を使うことに罪悪感を抱いてしまうのは当時の影響でしょう。
閉鎖する予定だったギター製造会社の社長を兼任したとき、かつては飛ぶように売れた自社ブランド「モーリス」のギターも、アメリカ製の高級品と中国製のビギナー向けとの間で中途半端なポジションになり、売上不振になっていました。そこでゼロからブランディングをやり直すことにしました。その結果、平均単価1本7万円だったギターを24万~30万円で販売できるようになりました。
たまたま仕事で訪れたハワイのアパレル店でクロックスと出会いました。勧められるまま試着すると、とても気持ちがよくて即購入しました。あまりに履き心地がいいので自分で売ってみたくなり、アメリカの本社に直談判に。それが縁でクロックス日本法人を立ち上げることになりました。
私は二度人生で大きな転機を迎えました。一回目は父の経営していた会社を辞めて、父から受け継いだ財産をすべて返上したとき。二回目はクロックスの日本法人社長を辞めて独立したときです。妻に退職を相談したら、「自分の好きなようにしたら」と言って背中を押してくれた。いずれのときもしばらくは貯蓄を切り崩すことになりましたが、それについても何も文句は言われなかった。妻には本当に感謝しています。
モーリスギターの再建に取りかかったとき、私にはギター作りの経験はありません。社員の多くは年上です。改善提案をしても、「それならお前が作ってみろ」と言われることもありました。言葉がダメなら行動でなんとかするしかありません。海外のギターのイベントに行き、楽屋に飛び込んではプロに率直に意見を求めました。また、製造部長とともにアメリカ各地のギター作りの名工を訪ね、「本物」をこの目で確かめました。そうして技術を磨き、海外の高級ブランドと勝負できるギターを生み出そうとしたのです。もちろん簡単にはいきません。プロが納得するギターを求めて全員で試行錯誤を続ける日々。思いをわかってほしくて、社員を前に大泣きしたこともあります。そうして社員の意識を変えて品質を向上させながら、イベントやマスコミと協力したPR、アメリカ本土の楽器店を行脚する草の根活動などを通じて、新しい「モーリス」を作り上げていったのです。その結果、私が会社を辞めるときには、納期が半年待ちになるほどの人気ブランドになりました。
一回の成功で満足するなんてもったいない。いつでもリセットして初心に戻れば、何回だって「成功」できます。そうして、とことん自分の力を発揮することが、仕事と人生の楽しさを味わうことだと私は思うのです。
父から受け継いでいた財産はすべて返上しました。私は父のことを超えたいと思っていたので、裸一貫で創業した父と同じ条件で独立することにこだわっていました。父を超えるために独立するのに、その父から支援を受けていたらおかしいでしょう?
大切なのは成功そのものではなく、挑戦し続ける生き方だと私は思います。父が創業した会社を辞めて父からもらった財産も返上して、家内と3歳の子供を連れて小さなアパートに移り住んだのも、そういう思いからです。
自分はお金のために働いているわけではありません。死ぬ直前に「俺はこれだけの財産を築いた」と振り返るより、「成功も失敗もたくさんしたけど、一生懸命生きて楽しかったな」と思えるような人生を生きたい。