世界は常に、勇気ある者のための劇場である。
どんな計画であれ、重要な要因は、あなたの信念だ。信念なくして立派な結果が出ることはない。
生物学的に考察すると、人間は最も恐ろしい猛獣であり、しかも、同じ種族を組織的に餌食にする唯一の猛獣である。
快活さを失った場合、それを取り戻す最善の方法は、いかにも快活そうにふるまい、快活そうにしゃべることだ。
この人生は生きる価値があると言えるだろう。なぜなら、人生は自分で作るものであるからだ。
祈りは宗教を行動に表したものだ。つまり、祈りこそ真の宗教である。
行動するキッカケを逃すな。
ひとたび決断を下し、あとは実行あるのみとなったら、その結果に対する責任や心配を完全に捨て去ろう。
人は心がまえを変えることによって人生を変えることができる。これはわれわれの時代の最大の発見である。
正常とは何かを理解する最良の方法は、異常について学ぶことである。
幸福な人生を阻む大敵は外にあるのではなく、内にある。すなわち、あなたの心の中に潜んでいる。
自分の偏見を組み立て直しているにすぎないのを、「思考」していると勘違いしている者が非常に多い。
あるべき姿と比べて、私たちは半分しか目覚めていない。
水泳は冬の間に上達し、スケートは夏の間に上手になる。
運命が一つの扉を閉じたならば、信念が別の扉を開く。空いている扉を見つけよ。
勇者の気持ちを味わいたければ、ありったけの気力をふるって、勇者らしく振る舞うことだ。
天才の特徴は、何を大目に見るかを知っていることだ。
荒れ狂う海面の荒波も、大洋の底まで騒がすことはない。広大でかつ永久的な視野で現実を眺めている人にとっては、個人的な絶え間のない浮沈は比較的無意味なものに見える。従って、真に宗教心のある人は動揺せず、平静に満たされている。そして時がどのような義務をもたらしても、静かな心構えができている。
選択しなければならないのに選択しないのは、それ自体がもう選択していることになる。
人は幸せだから歌うのではない。歌うから幸せなのだ。
人が失敗する原因は、ひとつしかない。それは本当の自分に対する信頼の欠如である。
チャンスという黄金の瞬間を利用すること、そして手の届くところにあるよきものをつかまえることは、人生の偉大なる技術であります。
賢明であるコツとは、何に目をつぶるかを知ることである。
人生は生きる価値があると信じなさい。その信念が、その事実を生み出すことになる。
楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。
できるかどうか分からないような試みを成功させるただひとつのものは、まずそれができる、と信じることである。
人生は生きるに値するか?それはひとえに肝臓にかかっている。
悲観主義は人を弱きに導き、楽観主義は人を力に導く。
「必ず実現する」という固い信念だけが、本来実現するかどうかわからない結果を実現させるのである。
起こったことをあるがままに受け入れよ。それが不幸な結果を克服する第一歩である。
所有の本能は人間の本能の基礎である。
自分にはそれができないと言った瞬間から可能性の道は閉ざされてしまう。同じ能力の持ち主でも、プラス思考で取り組んだ人は、うまく行き、マイナス思考で取り組んだ人は、うまく行かない。まさに人間は自分が考えた通りの結果を手にするのである。
どんなに金言名句をたくさん知っていても、どんなに良い気質を備えていても、機会が来るたびに具体的に行動に出なければ、人格は少しも向上しない。
人間には、その人がなりたいと思うようになる性質がある。
自分がこうしたいと思う映像を頭に思い浮かべ、その映像をずっと抱き続けていると、じきに考えていた通りのことが起きるものなのだ。
不快な状況に対峙するなかれ。我慢ならなくとも、受け入れよ。そうするよう心掛ければ、うまくいく。
優柔不断以外の習慣を持たない人間ほど惨めなものはない。
自分の行ないが変化をもたらすかのように行動しなさい。それが変化をもたらすのだ。
人間の本性の最も根源的な特長は、自分を評価して欲しいという欲求である。
苦しいから逃げるのではない。逃げるから苦しくなるのだ。
文明は流血の戦場の上に構築されていて、個々の人々の生存は、ひとりぼっちの断末魔の苦しみの中へ消えてゆく。
習ったことを一生忘れない人間は、仕事を必ずやり遂げ、一生向上を続ける。一方、他の連中は、昔習ったことを学び直すのに一生の大半を費やし、どうにかこうにか面目を保っている。
知恵とは、何に目をつぶるかを学ぶこと。
人がこれは自分だと主張するものと、単に彼が、もっているものとの間に一線を引くのは難しい。
人は神の存在の中に精神的安らぎを固く信ずるとき、神の観念は歓びと安心の時を与え、それを正当化する。
世界を動かす力は、あなたの潜在意識の中にある。
読書のコツは拾い読みにある。従って、賢明になるコツは何を捨てるかを知る術にある。
十分に結果を求めれば、ほとんどそれを手に入れたも同然だ。
一生の最もすぐれた使い方は、それより長く残るもののために費やすことだ。
若者は自分の受ける教育の結果をあれこれと思い悩んではならない。もし毎時間を真剣な気持ちで勉強するならば、あとは成り行きに任せておいても安心である。どんな学問分野を選ぼうと、ひたすらに努力を続ければ、いつかは同世代のすぐれた代表者として、勝利感にひたれる輝かしい朝が来る。
楽しかった思い出ほどわびしいものはない。苦しかった思い出ほど楽しいものはない。