我思う、ゆえに我あり
世界ではなく、自分自身を征服せよ。
真理を探究するのであれば、人生において一度は、あらゆる物事をできる限り深く疑ってみる必要がある。
欠陥はいつも、それを取り除くために必要な変化よりはずっと耐えやすいものとなっている。
ひとたびでもわれわれを欺いたものを完全には信じないことは思慮深さのしるしである。
我々は、すべてのものが我々のためにつくられたのだと思ってはならない。
精神を向上させるためには、学ぶことよりもより多く熟考していくべきである。
決断ができない人間は、欲望が大きすぎるか、悟性が足りないのだ。
不決断こそ最大の害悪。
秀でたる知性を有するだけでは十分ではない。大切なのは、それをうまく活用することである。
難問は分割せよ。
疑いは知のはじまりである。
良識はこの世でもっとも公平に配分されているものである。
精神を思う存分働かせたいと願うなら、体の健康に留意することだ。
あらゆるものは自明である。
どこかの森に迷い込んだ旅人たちは、あちらへ向かったり、こちらへ向かったりして迷い歩くべきではなく、いわんやまた一つの場所にとどまっているべきでもなく、つねに同じ方向に、できる限りまっすぐに歩むべきである。その方向を彼らに選ばせたものが初めは単なる偶然にすぎなかったかもしれぬにしても、少々の理由ではその方向を変えるべきではない。というのは、旅人たちは彼らの望むちょうどその場所に行けなくても、少なくとも最後にはどこかにたどりつき、それはおそらく森の真ん中よりはよい場所であろうからである。
哲学はあらゆることについて、まことしやかな話をし、学の浅い人々の称賛を博する手段を与える。
良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである。
経験というものは、人が知識において進めば進むほど、その必要性を感じさせるものである。
怒りによって赤くなる人々は、怒りによって青くなる人々よりも怖ろしくない。
人間の誤りの主な原因は、幼少期に身に付いた偏見である。
理性によってのみわれわれは人間となる。
自然は人間を嫌う。
自分自身の思考を除いて、我々の中で絶対的な力など存在しない。