何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことです。
真理に年齢はない。
私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会… 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである。
凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです。
情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない。
芸術は感情に外ならない。しかし量と、比例と、色彩との知識なく、手の巧みなしには、きわめて鋭い感情も麻痺される。
見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう。
天才?そんなものは決してない。ただ勉強です。方法です。不断に計画しているということです。
現代人の欠点は、自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪、のろうべき苦役と考えている。
すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです。
女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです。
着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ。
壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です。
美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように。
芸術家にとって、自然の中で醜いものは何もない。
結局芸術の唯一の原則は、見るものを模写することだ。
深く、恐ろしく真実を語る者であれ。自分の感ずるところを表現するに決してためらうな。
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける。
自然は至上の建築家である。自然の一切は最も美しい釣り合いを持って建てられている。
彫刻は、凹凸の術である。
芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である。
自分が何かをやることさえ確かだったら、少しぐらい待っても何でもない。
私は何も発明しない。再発見するだけだ。
秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりです。
眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です。
人に善をなせば、とがめられるものだ。
かぶりついて仕事せよ。
我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する。
もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう。
最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである。
芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ。
忍耐もまた行動の一つの形態だ。
老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える。
家事をしている女、それは世の中で最も美しいものの一つである。
自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある。
真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ。
私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす。
経験を賢く生かすならば、何事も無駄ではない。
芸術に独創はいらない。生命が要る。
美はあらゆる所にある、我々の眼がそれを認め得ないだけだ。
芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから全ての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ。
芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです。
フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ。
肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。そして、芸術家である以前に、人間であることだ。
芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります。
少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます。
あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ。
素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する。