自己満足しない人間の多くは、永遠に前進し、永遠に希望を持つ。
天才なんかあるものか。僕は他人がコーヒーを飲んでいる時間に仕事をしただけだ。
思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
女の天性には母性と娘性があって、妻性はない。妻性は無理に作られたもので、母性と娘性との混合でしかない。
むかし景気のよかったものは、復古を主張し、いま景気のよいものは、現状維持を主張し、まだ景気のよくないものは、革新を主張する。
自由はもちろん金で買えるものではない。だが、金のために売り払うことは出来る。
心は、外から刺激を受けないと、枯死するか、さもなければ、萎縮してしまう外はない。
青年時代に悲観していてはいけません。徹底的に戦うのです。
目的はただ一つしかない。それは、前進することなのです。
人生で最も苦痛なことは、夢から覚めて行くべき道のないことです。
君たちは、生命の力にみちあふれている。深林に出会えば、開いて平地にすることができる。曠野(こうや)に出会えば、樹木を植えることができる。砂漠に出会えば、井戸を掘ることができる。
青年時代には、不満はあっても悲観してはならない。つねに抗戦し、かつ自衛せよ。もしいばらにして、踏まねばならぬものなら、もとより踏むのもよいが、踏まずにすむものなら、みだりに踏むべきではない。
思い出というものは、人を楽しませるものではあるが、時には人を寂しがらせないでもない。
皇帝と大臣は「愚民政策」をとるし、人民にもまた「愚君政策」がある。
世間の人は、サーベルが軍人を指揮するものだと思っている。それが文人も指揮できることには気がついていない。
自分で盗賊だと名乗るものは、用心する必要がない。裏をかえせば善人だから。自分で正人君子だと名乗るものは、用心しなければならぬ。裏をかえせば盗賊だから。
生活がまず一番だ。人は生活しなければならない。愛情はそれにつれて生まれてくるものだ。
「人生」の長い旅をゆくとき、よくぶつかる二つの大きな難関がある。第一は、「分かれ道」である。第二は、「行きどまり」である。
決心する限り、奮闘する限り、必ず成功する。
沈黙しているとき私は充実を覚える。口を開こうとするとたちまち空虚を感じる。
造物主に非難すべき所があるとしたら、神があまりに無造作に生命を作り、あまりに無造作に生命を壊す点だろう。
偉人が化石になり、人々が彼を偉人だと称讃するときになると、彼は傀儡(かいらい)になっているのだ。ある種の人々が、偉人だとか小人物だとかいうのは、自己のために利用できる効果の濃淡について言っているのだ。
古人は、書を読まなければ愚人になる、といった。それはむろん正しい。しかし、その愚人によってこそ世界は造られているので、賢人は絶対に世界を支えることはできない。ことに中国の賢人はそうである。
生命の路は進歩への路だ。生命は死を怖れない。死の面前でも、笑いながら、踊りながら、滅びる人間を踏み越えて前進する。
人類というのは寂しいものではない。楽天的なものだ。生命は進化するのだから。
平和というものは、人間の世界には存在しない。しいて平和と呼ばれているのは、戦争の終わった直後、またはまだ戦争の始まらない時をいうにすぎない。
他人の歯や眼を傷つけながら、報復に反対し、寛容を主張する、そういう人間には絶対に近づくな。
戦場に出るなら、軍医になるがいい。革命運動をやるなら、後方勤務がいい。人を殺すなら、首斬り役人になるがいい。英雄であって、しかも安全だ。
墨で書かれた虚言は、血で書かれた事実を隠すことはできない。
うしろをふり向く必要はない。あなたの前には、いくらでも道があるのだから。