恐るべき競争相手とは、あなたのことをまったく気になどかけず、自分の仕事を常に向上させ続けるような人間のことだ。
ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです。
不潔な工場に善良な職工なし。
小さな仕事に分けてしまえば、何事も特に難しいことはない。
私はいままでどんな人でも採用してきたし、一度採った者は絶対に解雇しない主義でやってきた。車をつくるのではなく人間をつくるつもりなのだ。解雇は絶対にしない。
努力が効果をあらわすまでには時間がかかる。多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する。
まだやっていないことでは、名声は築けない。
障害がおそろしいものに見えるのは、目標から目を離すからだ。
自分以外の人間に頼むことができて、しかも彼らの方がうまくやってくれるとしたら自分でやる必要はない。
お金以外に何も生み出さないビジネスは、貧しいビジネスである。
仕事の中に喜びはある。何かを達成したという実感なしに、幸せはありえない。
他人が成功するのを助ける者が、理想主義者だ。
品質とは、誰も見ていないときにきちんとやることである。
進歩と歩調を合わせて進む方が、進歩を妨げるよりも健康的である。
ひとりの人間にとっての最大の発見、最大の驚きは、自分にはできないと思っていたことが実はできるのだと知ることである。
人が集まってくることが始まりであり、人が一緒にいることで進歩があり、人が一緒に働くことが成功をもたらす。
年寄りは若い者に貯金をしろと言うが、それはまちがっている。最後の一銭まで貯めようなどと考えたらいけない。自分に投資しなさい。私は40歳になるまで、1ドルたりとも貯金したことなどなかった。
見返りを期待しなくなったとき、倍の報酬がやってくる。
自分で薪を割れ、二重に温まる。
資本の真の使い方は、お金を増やすことではない。お金を増やして、生活を向上することだ。
もはや手のほどこしようのない事態になったら、事態の成り行きにまかせるだけだ。
今こそ大きなチャンスの時である。だがそれを知っている人は実に少ない。
どんな企業でも、お金を必要とするときが危険なのではなく、成功して楽に資金が調達できるようになったときこそ、危険なのである。
ビジネスは、ニワトリが地面をつついて餌を得るように、欲しいもののために一定の努力をしなければならない時が一番健全だ。
賃金を払うのは雇い主ではない。雇い主は、ただ金を扱っているだけ。賃金を払うのは顧客である。
成功の秘訣というものがあるとしたら、それは他人の立場を理解し、自分の立場と同時に他人の立場からも物事を見ることのできる能力である。
どんな人間も、自分が思っている以上のことができる。
あなたができると思えばできる。できないと思えばできない。どちらにしてもあなたが思ったことは正しい。
財産は来るものであり、作るものではない。
決断しないことは、ときとして間違った行動よりたちが悪い。
たいていの成功者は他人が時間を浪費している間に先へ進む。これは私が長年、この眼で見てきたことである。
金で自由が買えると思うのは誤りだ。この世で本当にたよりになるのは、知識と経験と能力だけである。
あら探しをするより改善策を見つけよ。不平不満など誰でも言える。
二十歳であろうが八十歳であろうが、学ぶことををやめた者は老人である。学び続ける者はいつまでも若い。人生で一番大切なことは、若い精神を持ち続けることだ。
たいていの人は、問題を解決しようとするよりも、問題を回避するためにより多くの時間とエネルギーを費やしている。
考えることは最も過酷な仕事だ。だからそれをやろうとする人がこんなにも少ないのだ。
私の若い人たちへの忠告は、仕事の成功のために必要とあれば、どんな組織をも改革し、どんな方法をも廃棄し、いかなる理論をも放棄する覚悟でいることだ。
最高の友は、私の中から最高の私を引き出してくれる友である。
失敗とは、より賢く再挑戦するためのよい機会である。まじめな失敗は、なんら恥ではない。失敗を恐れる心の中にこそ、恥辱は住む。
事実がたとえわかっていなくとも、とにかく前進することだ。前進し、行動している間に、事実はわかってくるものだ。
若者は、自分を人と違ったものにする個性の種を一つでも探し出して、全力を尽くして育て上げることだ。社会と学校はこの種を奪い、誰も彼もひとまとめに同じ鋳型に押し込めようとするだろう。だが、この種を失ってはいけない。それは自分の価値を主張するための、ただ一つの権利だから。
成功の秘訣は、何よりもまず、準備すること。
お金は手や足のようなものだ。使わなければ、失ったも同じである。
新しい生命の誕生は、何かこれまでと違った新しいものの誕生である。これと完全に同じものはかつて存在しなかったし、今後も決して存在しない。