心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。
おとなは、だれも、はじめは子供だった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。
本当の愛は、もはや何一つ見返りを望まないところに始まるのだ。
愛は、お互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。
純粋論理学は精神の破滅です。
砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ。
ぼくは、あの星のなかの一つに住むんだ。その一つの星のなかで笑うんだ。だから、きみが夜、空をながめたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう。
計画のない目標は、ただの願い事にすぎない。
未来とは、あなたが予知しようとするものではなく、自分で可能にするものだ。
真実の愛は無限です。与えれば与えるほど大きくなる。
人間たちはもう時間がなくなりすぎてほんとうには、なにも知ることができないでいる。なにもかもできあがった品を、店で買う。でも友だちを売ってる店なんてないから人間たちにはもう友だちがいない。
救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すのだ。
他人を裁くより自分を裁く方がずっと難しい。
船を造りたいのなら、男どもを森に集めたり、仕事を割り振って命令したりする必要はない。代わりに、彼らに広大で無限な海の存在を説けばいい。
地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ。
あなた自身を与えれば、与えた以上のものを受け取るだろう。
不思議なことが多すぎると、それに逆らおうなんて気がしないものだ。
あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ。
自分の内側を見てみても、ぼくは自分以外のものと出会ったことがない。
努めなければならないのは、自分を完成させることだ。
人に好かれるには、同情しさえすればいい。でも、ぼくはめったに同情しないし、同情しても隠すことにしている。
人生には解決法なんかないんだ。あるのは、前に進む力だけだ。解決法は、後からついてくるものさ。
ぼくたちは、たとえどんな小さなものであろうと、自分の役割を自覚したときにだけ、幸福になれる。
人間はね、急行列車で走りまわっているけれど、何を探しているのか自分でもわかっていない。
人間であるとは、まさに責任を持つことだ。自分には関係がないような悲惨を前にして、恥を知ることだ。
人間であることは、自分の意志をそこに据えながら世界の建設に参加しているのだと感ずることである。
ひとりの人間の死とともに、未知の世界がひとつ失われる。
人間は、障害にむきあったときに、自らを発見するのだ。
もし誰かが、何百万もの星のなかのたったひとつの星にしかない一本の花を愛していたなら、そのたくさんの星をながめるだけで、その人は幸せになれる。
どこにでも好きな方に歩いていける。ぼくは自由だ… だが、この自由はほろ苦かった。世界と自分が、どれだけつながっていないかを思い知らされた。
完璧がついに達成されるのは、何も加えるものがなくなった時ではなく、何も削るものがなくなった時である。
心を高揚させる勝利もあれば、堕落させる勝利もある。心を打ちひしぐ敗北もあれば、目覚めさせる敗北もある。
君という人間は君の行為自体の中に宿っている。君の行為こそ君なのだ。もうそれ以外のところに君はない!
利害を越えた究極の目的を人と共有する時、初めて心のままに生きることができる。
人間は充実を求めているのであって、幸福を求めているのではない。
探しているものは、たった一輪のバラやほんの少しの水の中にも見つかるはずだ。
ぼくがこれほど、あなたに執着しているのは、たぶんあなたを、自分で勝手につくりあげているからだ。
本当の贅沢というものは、たったひとつしかない。それは人間関係に恵まれることだ。
いったん出来事のうずの中に身をおいてしまえば、人はおびえないものだ。人を不安にさせるのは、未知のことだけだ。
生きながらえるためには、服従すべきであり、存在しつづけるためには、戦うべきである。
人間は真理を発見するのではない。人間は真理を創造するのだ。
やはりお前は、お前の生命を投げ出させるものによってしか生き得ないのだ。死を拒否する者は、生命をも拒否する。
一滴の水が、どうして己を大河と知るであろうか?だが大河は流れているのだ。樹木を作る細胞の一つ一つが、どうして己を樹木と知るであろうか?だが、樹木は伸び広がっているのだ。
歩みだけが重要である。歩みこそ、持続するものであって、目的地ではないからである。
僕の命を救ったのは、他でもない。このささやかなほほ笑みだったんだ。