女が男の友達になる順序は決まっている。まず最初が親友、次が恋人、最後にやっとただの友だちになるということだ。
結婚するのは、二人とも他に身の振り方がないからである。
人間は好んで自分の病気を話題にする。彼の生活の中で一番面白くないことなのに。
マナーというものは、ソースをテーブルクロスにこぼさないことではなく、誰か別の人がこぼしたとしても気にもとめない、というところにある。
嘘をついても人は信じる。ただし権威をもって語ること。
善人は犬の前でも恥ずかしさを感じることがある。
良き夫になることを約束する。ただし、毎晩は現れない月のような妻がよい。
孤独が怖ければ結婚するな。
祝日を待つように、あなたの回復を待ち望んでくれる人がいるなら、病気になるのも悪くはないものだ。
自らそうであると信じるもの - それが自分自身である。
幸福な人間が良い気分でいられるのは、不幸な人々が自己の重荷を黙々と担ってくれているからに過ぎない。
芸術家の役割とは問うことで、答えることではない。
孤独な生活をしている人たちは、心の中に何か鬱積したものがあって、機会があればそれを喜んで人に話したがるものである。
愛、友情、尊敬、どれをとっても、共通の憎しみほど人間を団結させるものはない。
千年後にも人間は「ああ、人生はなんというつまらないものだろう!」と嘆きつづけるにちがいない。そしてまた同時に、今とまったく同じように死を恐れ、死ぬことをいやがるにちがいない。
知識は実践するまで価値がない。
いいかね。もし我々が下の方の階段の助けを借りずに、一足飛びに最上段へ躍り上がる方法を見つけだそうものなら、その長い前階段は我々にとって、一切の意味を失うことになる。こういう不幸な考え方には、何の進歩も、学問も、芸術も、思想そのものすらありえないということを知らねばならないのだよ。
たとえ信仰は持っていなくとも、祈るということはなんとなく気の休まるものである。
餓えた犬は肉しか信じない。
教養ある人間は、他の人格を尊重し、したがって、常に寛大で柔和で腰が低いものである。
女への恋が冷める。恋から解放された感情、安らかな気分、のびのびと安らかな想念。
人間に理性と創造力が与えられているのは、自分に与えられたものを増やすためである。
男とつきあわない女は、だんだん色あせる。女とつきあわない男は、だんだん馬鹿になる。
結婚生活で一番大切なものは忍耐である。
優しい言葉で説得できない人は、いかつい言葉でも説得できない。
男が恋をするなら必ず純潔な相手を選べというのはエゴイズムである。 自分にはありもしないものを女性に求めるのは、それは愛ではなく崇拝にすぎない。人間は自らと同等の者を愛すべきだから。
くすぶるな、燃えあがれ。
もし人生をやり直すのだったら、私は結婚しないでしょう。
学問のある人間が大勢集まってあらゆる機械や薬品を考え出したが、いまだに女性が原因で起こる病気の薬を考え出そうとした学者はいない。
愚者は教えたがり、賢者は学びたがる。
書物の新しいページを1ページ、1ページ読むごとに、私はより豊かに、より強く、より高くなっていく。
真の幸福は孤独なくしてはありえない。堕天使が神を裏切ったのは、おそらく天使たちの知らない孤独を望んだために違いない。
人間の目は、失敗して初めて開くものだ。
平らな道でもつまずくことがある。人間の運命もそうしたものだ。神以外に誰も真実を知るものはないのだから。
僕にとってごく当たり前の恋の出来心であったものが、彼女にとっては人生における大変革になった。
ただ働け。生きる意味も幸福もその中にある。
やがて新しい生活の朝焼けが見え始め、真理が勝利をおさめ、そして我々に運が向いてくるでしょう!僕はそれを待たずにくたばるでしょうが、その代わり誰かのひ孫たちがそれに巡り会うんだ。
女は男の失敗を許さない。女は常に完全な男性を要求する。
神経病や神経病患者の数が増えたのではない。神経病に眼の肥えた医者が増えたのだ。
誰に打ち明けたらいいのでしょう?誰に訴えたらいいのでしょう?誰と一緒に喜んだらいいのでしょう?人間は誰かをしっかりと愛していなければなりません。
無関心とは、精神の麻痺であり、死の先取りである。