避難所で3日間過ごしました。その避難所で、沢山の人たちに助けていただいて、だから僕はその皆さんの為に何でもしたいと思っています。僕が出来ることはスケートだけですが。
「負けてたまるか」という怒りの感情が原動力になる。
1年間やってきたことは1カ月くらいじゃなくならないんだな。
やっぱりこうやって金メダルをとって2連覇して帰ってきたということが、たくさんの方の幸せになっていることは間違いないし、それができるのは僕しかいなかったということだと思っています。
オリンピックの本当の怖さ、オリンピックの魔物というものを少し感じた。
できる時にできることを精一杯やる。できない時はその時にできることをやる。
オリンピックで絶対勝つという気持ちをずっと持っていたからこそ、オリンピック直前にケガをしてしまったり、調子が悪くなって、最終的にボロボロになってしまったかもしれないなという気持ちを込めて、「ケガをしなければなかったかもしれない」という言葉に乗せました。
「自分ってこんなに出来ないんだ!」って。自分の弱さが見えたので、これを直せば根本的にスケートが変わって、もっと納得いく演技が出来るんだ、新たなステージに上がれるんだ、って思ったんです。
今の自分のこの金メダルをとってきたという気持ちだとか、自分のスケートだとか、そういうものをすごく待ち望んでいる方がいらっしゃるということはうれしいことだし。またアイスショーにおいても、またこういったイベントだったりとか、いろんなところで喋る機会があったとしても、こうやってたくさんの方が待ってくださって、自分の声やスケートをお金を払ってでも見に来てくださる。そういった方々のために、ちょっとでも自分のスケートを使えたら、ちょっとでも自分の体力とか気持ちとか気力とか、そういったものを使えたらなというふうには今思っています。
昔、小さい頃に「ああ、これやりたい」「これで強くなりたい」「これで一番上に立ちたい」「こういう人になりたい」、そういうふうに憧れて、それを信じ切っていた自分がたぶん今もずっと心の中に残っていて。その自分の心の中で「絶対やってやるんだ!」と言っている昔の自分が、たぶん僕の夢というか、夢の原動力になっているんだと思います。
なによりも自信になっているのは、やっぱりすごく実績のある方々が自分のことをすごい褒めてて。今まで自分が夢見てて「こういうふうになりたい」って思ってた人が自分のことを認めて、「彼が本当のチャンピオンだ」とかって言ってくれるこの世界に対して、感謝の気持ちしかないですね。うん。
明日は明日でやるべきことがありますし、今日は今日でやるべきことがあったので、それをできたと思っています。明日はやるべきことをしっかりと一生懸命楽しみながら、演じきりたいと思っています。
君が代が流れて日本代表として誇らしい気持ちになった。日本の人たちと一緒に喜びを分かち合いたい。
挑戦自体がモチベーションを上げるためのもの。
自分を貫いていると、家族に心配されたり、本当に信じている人に裏切られたりするかもしれない。ただ、そうやって自分自身を貫くことで後悔はしない。
僕自身が津波のことや地震のことを言っていいか分からないです。実際こうやって金メダリストになりましたが、僕1人が頑張ったからと言って復興に直接つながるわけではないので、すごい無力感というか、そういうのを感じますし、何もできていないんだなと思います。
期待される感覚が好き。それはプレッシャーじゃなくて快感なんです。
具体的に自分が何をすべきか、今何をしなくてはいけないのか、諦める諦めないの前に考える。
夢って叶う人って本当に限られてて。はっきり言っちゃえば、自分の夢だって、叶ったのはこの金メダル……だけって言ったらおかしいけど、この金メダルが叶った夢だけであって、ほかの夢はたくさん捨ててきたので。
前回のオリンピックが終わって、それからいろんな人にこうやって祝福されればされるほど、「ああ、自分の気持ちってどこにあるんだろう?」って。そういうのはすごく思っていました。みんなが、周りがあまりにも幸せになりすぎてて、僕は「僕の幸せはなんなんだろう?」って。「僕ががんばってきたものって、本当に自分に還元されてるのかな?」って思うこともありました。
僕はただ滑りたいだけなんです。
「絶対に勝ちたい」「こんなんで負けてたまるか」という怒りの感情で、自分のアドレナリンをしっかり出しきれた。
1番の敵は自分自身じゃないかなぁって。
連覇は意識しない。短い準備期間でどれだけ成長できるかに集中したい。
とにかくきつい練習がしたい。
どんな状況でも全力を出すのはスケーターとしての流儀。
スケーターって、「アーティスト」であり「アスリート」でもある。どっちの魂も捨てちゃダメなんだと思っています。
自分を貫いていると何かしら言われることがたくさんあると思いますし、もちろん家族に心配されたり、逆に家族に文句を言われたりとか。本当に信じている人に裏切られたりするかもしれません。ただ、そうやって自分自身を貫くことによって、後悔は絶対しないと思います。
自分がオリンピックに行く前、今シーズンの夏なんですけれども、「今を貫け」というふうに言葉を出しました。それは、絶対にケガをしないとは言えなかったし、ケガじゃなくても病気とか調子が悪かったとしても今というのは揺るぎないものなので、それを貫いてほしいと思いました。これは羽生結弦のために書いたわけではなくて、羽生結弦がこれまでいろいろやってきた中で、ちょっとでもみなさんが、夢を叶えるきっかけになるような言葉として書いたものです。
オリンピックで僕のスケートが終わったわけじゃない。「スケートでもっとうまくなれる」と思うから、今、また、もっとうまくなろうとしているところです。
芸術というのは明らかに正しい技術、徹底された基礎によって裏付けされた表現力。ジャンプ、ステップ、スピン、全てにおいて正しい技術を使い、それを芸術として見せることが一番大切なことだと思っている。
僕はプルシェンコみたいになりたくてオリンピックを目指しました。
広いリンクで一人で滑って、一人のためだけに歓声が起こる。その瞬間が魅力の一つ。4回転ジャンプを転倒したときも、会場に「あーっ」と大きなため息がこぼれますよね。それだけファンの皆さんが真剣に見てくださっているんだと思う。本気で見入ってなければ、ああはならない。演技を終えると、大量の花束をリンクに投げ込んでもらえる。いつも、「また、頑張らないと」と高いモチベーションになっています。
自分の調子とイメージのギャップを埋めようとした。イメージだけでもみんなに追いつこうと考えていた。
スケートやめなかったのは、やっぱりやれていることに特別だという気持ちがあったからかなと思います。フィギュアスケートってやっぱり陸上ではできないですし、もちろん小さい頃から金銭面で大変だということは、自分は姉がいたので、そういうことも薄々気づきながらやっていました。だからこそ、こうやって続けられることが特別だなと思ったし、なにより、先生方もすごく特別視してくれて、すごく面倒を見てくれて、こうやって育ててくださったので、そういうことに気づけたからここまで来れたのかなと思います。
自分のプライドにかけて全部を跳びたい。
優勝するしかないのなら、優勝すればいい。わかりやすい。
逆境は嫌いじゃない。それを乗り越えた先にある景色は絶対にいいはずだと信じている。
ノーミスしたいという気持ちはあります。ただ、ノーミスすることが全てではないですし、ノーミスするために何をしていくべきか、また、いい演技をするために何をしていったらいいか、ということを毎日、過程を大事にしながらやっていきたいと思います。
諦めたかった時もあった。
壁を乗り越えて見えるのは、壁ですね。人間とはそういうもの。課題を克服し、また何かを乗り越えようとすることに関して、僕は人一倍欲張り。
自分が負ける勝つではなく、高みに立とうとしていることが大事。
ちっちゃい頃から、学芸会の時とか主人公になりたいタイプ。
僕は僕。羽生結弦以上でも、以下でもない。ありのままの自分が出来る事を、五輪でもしっかりやりたい。
まだ日本男子はオリンピックで金メダルを獲ったことがないので、オリンピックで金メダルを獲りたいです。
いろんな子どもたちが夢を持ちながらいろんなことにやっていって、少しでもなにかその夢が叶う瞬間を作ってあげられるような、その叶う瞬間になるきっかけのような言葉を出せたらなと、今、あらためて思いました。
東日本大震災があって、色んな人に支えられているうちに考えが変わりました。五輪の金メダルは子どもの頃からの夢でしたが、それはあくまでも具体的な目標。だから五輪の金があって、そこからがスタートです。プロのショースケーターとしてスケートの魅力を伝えるとか、支援活動とか、色々と広げていくためのスタート。みんなに恩返しをしないといけない。
オリンピックの魔物って、結局のところ、自分の中にいるものなんだと思う。
僕はライバルがいるほど頑張れるタイプ。
僕の場合、悔しさってすごい原動力。
火山で言えば、マグマが溜まるコアの部分を作っている。コアがしっかりあるから吹き出せる。今までは上辺だけで演技してた感じ。今年はそれを痛感しました。スケートアメリカのフリー、ガタガタの演技を体験して、あれで痛感しなかったら俺は本当にダメな奴ですよ。
合宿の時だったんですけど、浅田選手がトリプルアクセルを跳んでいて。「タイミングで跳んでいる」というのを、すごく感じたんですよね。やっぱり生で見るのとテレビで見るのとはまた違っていて、その感覚というかイメージが無意識に入っていった。そのおかげで僕もトリプルアクセルを跳べたのかなと思いますね。浅田さんがトリプルアクセルを跳んでるのを自分の体で具現化するというか、想像と一致させるようにすると跳べてましたね。
トロントに来たのは、ブライアンの秘密も見たかった。だから、俺をカナダまで突き動かしたものは、ライバルと一緒に練習できるこの環境。ヨナは全然関係ない。
とにかく負けず嫌いだったので、何をするにしても、自分ができないと「絶対に一番になってやる」と思って、練習に取り組んでいました。
自分が思っていたよりも、ずっと早くこんなになって、まだ心が追いついていない。
1番の敵は自分自身じゃないかなぁって。
僕にも競争相手となるライバルが、絶対に現れるはずです。競ってくれるライバルがいなかったら、僕はスケートが好きではいられない。
前はすごい孤独だった。だれも分からないんだろうなって思ってた。祝福されるたびに自分の気持ちよりも、周りがあまりにも幸せになりすぎて、僕の幸せって何だろう?と思って。
スケートにいろんなものを賭けたし、いろんなものを捨てた。
いつも心を開いているんです。心を開いていなきゃ、何も吸収できないし、おもしろくない。心を開く事が成長の原動力。
試合のときは、挑戦することに対してなんの怖さもないですし、失敗するということを考えて挑戦したことは一度もありません。
今しかできないことを全力でやる。
これまでに出場したグランプリシリーズは勉強するためだったが、この大会はその成果を見せる大会。
日本人として金メダルを持ち帰れることはすごく誇りに思っています。
僕は集中するのは簡単だけど、気持ちをコントロールできなくなるときがある。そんなとき、ブライアンは僕を笑わそうとして助けてくれる。
悔しい思いはネガティブに受け取られますが、僕にとってはポジティブ。悔しい気持ちは、先に進もうとしているって意味。
僕がみんなを支えるなんて間違った考えでした。僕の方がみんなに支えられていたんだな。
2人の個性を1人の人間に合わせたようなスケーターになりたい。
いっぱいあっていいと思うんですよ、夢って。絶対適性があるし、高い目標じゃなくても、低い目標だって夢って言えると思うので。
自分が幸せになったときにたくさんの方々が幸せになって、そしてその幸せが還元されてまた自分に戻ってきて。自分がこうやって笑うことによって、みんなが笑ってくれる。そんな平和な世界じゃないですけれども、そんなことはすごく感じました。
科学的な根拠に基づいて研究した結果、5回転までは人間の能力でできるという結果が出ているそうです。
スケートって場所って自分の辛い事とか、逃げたい事を忘れる事のできる場所もである。そういった意味ではスケートに頼りっきり。スケートがないと心が潰されそうなこともある。
「真面目」というイメージでしたが、「しゃべってみるとアホだねって周りからよく言われる。
オリンピックでなければ、僕は今すぐに痛み止めを飲んでこうやってピークを作ることはなかったと思っています。
王者になる。まずそうして口に出して、自分の言葉にガーッと追いつけばいい。
特に自分は謙虚と思っていない。貪欲だし、勝ちにこだわる。勝ち気だし、ビッグマウスと思われていると思う。
僕にとってこのプログラムは、スケートを続けていこうというきっかけになったプログラムです。
信じられるものがなくなりつつある。今の日本には、ひょっとしたらそんな雰囲気もあるかもしれません。でもやっぱり、1人ひとりの持っている力を信じて、「信じること」そのものが大きな力になる、そう思いたくてメッセージを書きました。
自分が弱いと思えるときは、強くなりたいという意思があるとき。だから、逆境や自分の弱さが見えた時が好き。
壁の向こうにはまた壁がある。
たとえば、注意をしてくれるじゃないですか。でもそこだけ伸ばせばいいかって言われたら、そこだけじゃない。だから、そこを伸ばすためにも、他の部分を何かしなきゃいけない。その何かがわからない。
相手が誰であろうと絶対勝つ。
僕の強みは「考えて、分析して、感覚をマッチさせて氷上で出すこと」。
できることを出し惜しみしてやっていてもつまらない、それは一生懸命ではない。
大きなリンクの中で、試合の時は一人だけで滑り、自分だけを見てもらえる。僕は目立ちたがり屋だったんです。それと、難しいことを達成した時の達成感というのがすごい良かったんで。それではまりましたね。
ジュニア1位がジュニア3位に負けたんですよ!ああ考えただけで腹が立ってきた。
夜更かしして衣装をつくってくれている。母親の愛情を感じながら滑っている。
いつも通りやろうとしたら僕の負け。
プレッシャー、大好きですから。
今、幸せって言えると思います。
努力はウソをつく。でも無駄にはならない。
普通の人から見たらですけれども、僕からの目線じゃなくて普通の人から見たら、「もう手に入れるものすべて入れただろう」とかって。お金も、名誉も、地位も。でも、僕にとってはそんなことぜんぜんなくて。実はこうやって地位とか名誉とか、お金ももちろんそうですけれども、結局飾られたものでしかなくて、自分本来の気持ちとか夢とか、そういうものがすべて満足感に満たされているかと言われたら、そんなことはないです。やっぱりこれからも1人の人間として普通に生きなきゃいけないし。
一生懸命さが大事1分1秒を大切にする。
仙台で練習するのが一番安心だし、家族とも離れたくない。でもあれだけの歓声を浴びたし、期待を背負ってる。もうスケートは自分だけのものではないんだ。表彰台に立ったからには、自分の感情は優先させちゃいけない。新たな一歩として、阿部先生と別れて、自分の足で海外に飛び出さないと。
どこにだって行きますよ。僕、上手くなるためなら、何だってしますから。
自分自身が納得できる演技をしたい。
「負けても悔いはない」は嘘。勝てない試合が楽しいわけがない。
プレッシャーを感じても乗り越えることができれば、自分が強くなれる。
自分が負ける・勝つそういうものじゃなくて、自分が今、高みに立とうとしているのかしていないのか、そっちの方が今、すごく重要視してる方かなって思います。
自分は今ここに1人でいます。金メダリストは日本の男子スケーターとして1人しかいないですけど、表彰台に上がったとき、本当に日本の皆さん、世界中で応援してくださった皆さんの思いを背負って演技できたことをうれしく思いました。恩返しができたんじゃないかなと思っています。