一匹の人間が持っている丈(だけ)の精力を一事に傾注すると、実際不可能な事はなくなるかも知れない。
一々のことばを秤(はかり)の皿に載せるような事をせずに、なんでも言いたい事を言うのは、われわれ青年の特権だね。
実に敵という敵の中で山の神ほど恐ろしい敵はない。
武士はいざという時には飽食はしない。しかしまた空腹で大切な事に取り掛かることもない。
苦難が大きすぎて、自分ひとりの力で支え切れない場合には、家族から身を隠して一人で泣きなさい。そして、苦悩を涙とともに洗い流したら、頭をあげて胸を張り、家族を激励するために家に戻りなさい。
おれなんぞの顔は閲歴がだんだんに痕(こん)を刻み付けた顔で、親に産み付けてもらった顔とは違う。
人の長を以て我が長を継がんと欲するなかれ。
私は学殖なきを憂うる。常識なきを憂えない。天下は常識に富める人の多きに堪えない。
打ち明け過ぐるも悪(あ)しく、物隠すように見ゆるも悪しきなり。
友の変じて敵となるものあり。
現在は過去と未来との間に画した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。
世間の人は虎を、性欲の虎を放し飼いにして、どうかすると、その背に乗って逃亡の谷に落ちる。
己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。天下に一人もそれを理解してくれる人がなくたって、己はそれに安んじなければならない。それに安じて恬然としていなくてはならない。
富人(ふじん)が金を得れば、悪業が増長する。貧人(ひんじん)が金を得れば堕落の梯(はしご)を降って行く。
日の光を借りて照る、大いなる月であるよりも、自ら光を放つ小さな灯火でありなさい。
善とは、家畜の群れのような人間と去就を同じうする道にすぎない。それを破ろうとするのは悪だ。
人の光を藉りて我が光を増さんと欲するなかれ。
みんなが誉めるのは、おべっかである。六割が誉めて四割がけなすのが人材である。
少壮時代に心の田地に卸(おろ)された種子は、容易に根を断つことの出来ないものである。
日の光を籍(か)りて照る大いなる月たらんよりは、自ら光を放つ小さき燈火(ともしび)たれ。
女はどんな正直な女でも、その時心に持っている事を隠して外(ほか)の事を言うのを、男ほど苦にはしない。
人に言うべき事は、最後まできちんと言うがよい。全部は言いたくないことだったら、むしろ初めから黙っていよ。
足ることを知ることこそが、幸福である。