昔、小さい頃に「ああ、これやりたい」「これで強くなりたい」「これで一番上に立ちたい」「こういう人になりたい」、そういうふうに憧れて、それを信じ切っていた自分がたぶん今もずっと心の中に残っていて。その自分の心の中で「絶対やってやるんだ!」と言っている昔の自分が、たぶん僕の夢というか、夢の原動力になっているんだと思います。
普通の人から見たらですけれども、僕からの目線じゃなくて普通の人から見たら、「もう手に入れるものすべて入れただろう」とかって。お金も、名誉も、地位も。でも、僕にとってはそんなことぜんぜんなくて。実はこうやって地位とか名誉とか、お金ももちろんそうですけれども、結局飾られたものでしかなくて、自分本来の気持ちとか夢とか、そういうものがすべて満足感に満たされているかと言われたら、そんなことはないです。やっぱりこれからも1人の人間として普通に生きなきゃいけないし。
小心は人々を不決断にし、その結果、行為の機会と最大の好機を失わせる。
いまの自分を基準にしてはいけない。
おれが誰よりも強くならなきゃ そいつらをみんな失っちまう!!
愛は、人と人を結びつける力なのです。
明日に向かって何もしないなんて、オレには耐えられない。
最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである。
わたしはたくさんの男の子にかこまれて育ったの。きっと男性ホルモンも多いはずよ。
だれかといっしょに仕事場に向かったりベッドにはいりたいとは思わないわ、それがトム・クルーズでもね。わたしには楽しめないことよ。
後悔とは、やってしまったことにするものじゃなくて、やらなかったことにするもの。だから私はチャンスがきたら必ずトライするわ。
行動するキッカケを逃すな。
この国民にして、この政府あり。
それが何であれ、あなたの得意なことが幸福に導いてくれる。
ささいなことが私たちの慰めになるのは、ささいなことが私たちの苦しみになるからである。
苦難の道は永くもあれば、また暗くもある。次第に明るくなるような道は別の道である。
腕を上げるには、ネをあげないことだ。
人間は、時には自由であったり時には奴隷であったりすることはできないであろう。人間は常に全面的に自由であるか、あるいは常に全面的に自由でないか、そのいずれかである。
青年は間違い、壮年は争い、老年は悔いる。
過去の歴史より、私は未来の夢のほうが好きだ。
人間として必要なことは全て父から学んだ。
賭博は貪欲の子供であり、不正の兄弟であり、不幸の父である。
ある習慣の規則正しさは、その習慣のばかばかしさに比例する。
愛することは、ほとんど信じることである。
正しいことに一生懸命挑戦するなら、人々の賛同を得られる。だが自分の賛同が得られれば、百人力である。
すぐれた人間は、いざと言う時が来ないでも、いつも全力を出して仕事をしている。
人生には晴れもあれば雨もあるんです、先輩… 昼もあれば夜もある… 人生山あり谷ありですよ…
強い百万の軍勢を恐れなくても、弱い一人の民は恐れるのが武士の本領である。
一滴の水が、どうして己を大河と知るであろうか?だが大河は流れているのだ。樹木を作る細胞の一つ一つが、どうして己を樹木と知るであろうか?だが、樹木は伸び広がっているのだ。
恋愛は大臣の椅子のように、簡単に手に入れることのできない一つの幸せな未来である。