いろいんな人たちを遊びの場で見てきた。思うのは、人生は不公平だってこと。若いときからずっと恵まれている人もいる。急上昇して急降下する人もいる。人生の後半にピークを迎える人もいる。ずっと恵まれない人もいる。人生というゲームの勝ち負けに一定の法則がないことは、これを見てもあきらかだろう。ただし、ひとつ言えることがある。ずっと恵まれてみえる人はみな必ず努力していることだ。例外なくね。
合宿の時だったんですけど、浅田選手がトリプルアクセルを跳んでいて。「タイミングで跳んでいる」というのを、すごく感じたんですよね。やっぱり生で見るのとテレビで見るのとはまた違っていて、その感覚というかイメージが無意識に入っていった。そのおかげで僕もトリプルアクセルを跳べたのかなと思いますね。浅田さんがトリプルアクセルを跳んでるのを自分の体で具現化するというか、想像と一致させるようにすると跳べてましたね。
新しい自分に出会いたいと思ってる時点で、もう出会ってる
叩かれても叩かれても正しき姿勢を保ちながら何度でも這い上がれる者集まれ!巨大な敵に怯えず戦いに挑める者集まれ!いづれ、百万の同志を引っ張ってゆけるという気概の有る者集まれ!正しき義の為に全てを捨てる覚悟を持てる者集まれ!弱き者の為に己の命を捧げる事の人物のみ、集まれ!溢れる情熱で真夜中に駆け出したくなる者集まれ! 志に命をかけても惜しくない者。集まれ。
たとえ
もんじゃ食べてるときゲロの話をされようとだな
カレーを食べてるとき検便の話をされようとだな
ハンバーグ食べてるとき馬糞の話をされようとだな
わしは平気で食べる!
「楽をして、ぐうたらに生きる」が私の座右の銘で、60歳を超えてから何度も南洋の村に永住しようと本気で考えた。だがその都度、妻子の猛反対にあって断念した。世俗の仕事に追いまくられ、「人生思い通りには運ばない」とボヤいていたが、このごろは生涯現役も悪くはないのかなあという心境になってきた。どうやら、勤勉な妖怪が私に乗り移っているらしく、死ぬまで忙しそうだ。
あのね、目が前についてるのは前に進むためなんだよ。
松本みたいな天才と同じ時代にいる、俺には人災だ。でも『とんねるず』には、木梨憲武がいる!!
もはや手のほどこしようのない事態になったら、事態の成り行きにまかせるだけだ。
個性は安らぎや静けさの中で生まれるものではありません。試練や苦しみを経験することでのみ、魂が鍛えられ、洞察力が研ぎ澄まされ、野心が鼓舞され、成功が手に入るのです。
スリムな体のためには、飢えた人々と食べ物を分かち合うこと。豊かな髪のためには、一日に一度、子供の指で梳いてもらうこと。
自信とは、問題の本質を理解していないときに現れるものだ。
あなたから休日を奪ってはいけない。休日を失った魂は、孤児となる。
宗教とは蛍のようなものだ。光るためには暗闇を必要とする。
我は兵を以て戦ひを決せん。塩を以て敵を屈せしむる事をせじ。
何かを始めることは優しいが、それを継続することは難しい。成功させることはなお難しい。
哲学を学ぶことは、死に対する準備にほかならない。
高潔な人物や高尚な天才の中には、貪欲なまでの名誉や権力、栄光への欲望があるものだ。
私はその人柄の中に老人的なものを幾らか持っている青年を好ましく思う。同じように青年的なものを幾らか持っている老人を好ましく思う。このような人柄の人間は体が年をとっても心が老いることは決してない。
時は貴重であるが、真実はそれよりももっと貴重である。
人生で最も永続的でしかも緊急の問いかけは、「他人のために、いまあなたは何をしているか」である。
悪を仕方ないと受け入れる人は、悪の一部となる。悪に抵抗しない人は、実は悪に協力しているのだ。
人間一人ひとりを見ると、みんな利口で分別ありげだが、集団をなせばたちまち馬鹿が出てくる。
みんなのために自発的にいのちを捨てること、みんなのために十字架にのぼり、火刑の火の中に入ることは、個性が最も強度に発達したときに初めてできることである。
問題は時間にあるのではなく、あなた自身にあるのです。
私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。
どんなに好きでも最後は別れるんです。どちらかが先に死にます。人に逢うということは必ず別れるということです。別れるために逢うんです。だから逢った人が大切なのです。
良い妻というものは、夫が秘密にしたいと思っている些細なことを常に知らぬふりをする。それが結婚生活の礼儀の基本である。
アップル社再建の妙薬は、費用を削減することではない。現在の苦境から抜け出す斬新な方法を編み出すことだ。