戦争をやって、いがみ合っている国のリーダーをリングの上にみな引っ張ってくるんだ。そうしてトランクス一枚の裸で、徹底的にやらせるという具合にいかないもんかね。
庭師が庭を耕し、雑草を引き抜き、草花の種をまくように、私たちも自分の心の庭を手入れし、誤った無益で不純な思いを取り払い、正しく、有益で純粋な思いの草花を植え、それを育みつづけなければなりません。
どうせ一回きりの人生なら、潔くかっさらわれてみるのもいいさ。馬鹿だと世間にののしられても、情けない程女々しくなくよりよっぽどましだ!
夢に向かい実際に始めてみると現実は何時も厳しい。乗り越える強い情熱が欠かせない。
「原発ゼロ」になるのが、30年後なのか、50年後なのか、それとも100年後なのか。その点に関しては議論の余地があると思っています。急速に原発ゼロを推し進めることで、日本の経済成長に歪みを生じさせてしまうようであれば、ある程度の時間をかけて徐々に減らしていく方法もあるでしょう。何年後に原発をゼロにするのか、ということに関しては、私はあまりこだわっていませんし、こだわるべきでもないでしょう。しかし、将来的に原発をゼロにしていくという方針に関しては、早い段階で固めたほうがいいと思っています。そのほうが、代替エネルギーの開発にも早く着手することができますし、原子力発電に依存しない体制に国民も企業も早く転換していくことができるでしょう。
もしおまへが。よくきいてくれ。ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき、おまへに無数の影と光の像があらはれる。おまへはそれを音にするのだ。みんなが町で暮らしたり、一日あそんでゐるときに、おまへはひとりであの石原の草を刈る。そのさびしさでおまへは音をつくるのだ。多くの侮辱や窮乏の、それらを噛んで歌ふのだ。
松本みたいな天才と同じ時代にいる、俺には人災だ。でも『とんねるず』には、木梨憲武がいる!!
この素晴らしい応用科学は労働を軽減し、生活をより豊かにしながら、なぜ我々に幸福をもたらしてくれないのか。答えは簡単である。我々がそれを有意義に利用するにいたっていないからである。
親しくなればなるほど危険が増す。
神の言葉がもはや予言しないようになるところでは、人々は野蛮になるだろう。
もしあなたが怒りっぽく、気まぐれで、気難しく、意地悪な人ならば、猛スピードで年をとっていくでしょう。
人生で絶対に手に入らない物とは、何も与えないで手に入れられる物です。
人生は個人にとっても人類にとっても、等しく耐えがたいものである。
最悪の事柄を受け入れてしまえば、もはや失うものはなくなる。裏を返して言えば、どう転んでも儲けものなのだ!
その手に魂が込められなければ、芸術は生まれないのだ。
私は対象を見たままにではなく、私が思うように描くのだ。
人の落ち目を見て攻め取るは、本意ならぬことなり。
およそ人の上に立って下のいさめを聞かざる者の、国を失い、家を破らざるは、古今とも、これなし。
一回目、散々な目に遭う。二回目、落としまえをつける。三回目、余裕。
嫌な思いをすると、やり返したくなるもの。優しさで帳消しにすれば、自分が気持ちいい。
変化は不可避であり、変化は不変である。
多数に追随するな。自分自身で決断せよ。そして人々をも納得させ、リードしていけ。
事前にあわてふためいて、あとは悠然と構えているほうが、事前に悠然と構えていて、事が起こった時にあわてふためくよりも、利口な場合がある。
恋は官能の詩である。
他人のための行いにこそ価値があり、それが人生の重要な秘訣のひとつだ。
人間は生まれた時から一人で生まれ、死ぬ時も一人で死んでゆきます。孤独は人間の本性なのです。だからこそ、人は他の人を求め、愛し、肌であたため合いたいのです。
信念は、真実にとって嘘よりも危険な敵である。
即戦力になるような人材なんて存在しない。だから育てるんだ。
お金は損するかもしれないけど、自分の会社が持てる一生に一度のチャンスだ。
この動揺する時代に自分までぐらつくのは災いを増すばかりだ。おのれの志を守ってゆずらぬ者だけが世の中を作り上げて行くのだ。