これからお笑いをめざそうとするのなら、なんでもそうだと思うけど、自分が好きでこの道だと決めた以上、あとはどん欲にやるしかない。この世界は、待ってても誰も来ないから。
われわれの意識は、日常では脳の全能力の5%しか使っていない。
人ひとりが幸せになるか、不幸になるかは、そばにいる人のちょっとした優しい言葉だったりすると思う。
人は、現実に直面したとき、知性がいかに不十分であるかということを はっきりと知覚するに足るだけの知性は、与えられているものだ。
自分の誤りを認めなければならないことほど耐えがたいものはない。
時々、機会を見つけて外出しなさい。そして、リラックスしよう。外から帰ってくると、あなたの判断はより確かなものになります。いつも仕事にへばりついていると、あなたは、判断力を失ってしまいます。
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである。
諸君が自分自身に対して関心を持つのと同じように、他人が自分に関心を持っているとは期待するな。
役に立たない知識から得る喜びは大きい。
言葉は薬にもなれば、凶器にもなる。
直感には邪念の入りようがない。長く考えると言うのは道に迷っている状態なんですね。「勝ちたい」とか余計な思考も入ってくる。だから、いくら考えても分からない時は、最初に戻って直感にゆだねることがよくあります。
敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ。
限界が見えてからが勝負だ。
幸福とは、良い資産、良い料理人、良い消化。
ねたみとは魂の腐敗である。
天才の産み出すものは、すべて情熱の産物にちがいない。
目上に対しては謙虚に、同僚に対しては礼儀正しく、目下には優しくふるまう。これはみんなが心地よく生きるための社会生活のルールである。
過剰な喜びは、どんな悲しみよりも耐えるのが困難である。
強い心、知性、勇気があれば運命の力を阻み、しばしばそれを逆転することが可能である。
忘れてはいけない。偉大な人間になって、なにか立派なことを創造しようと思ったら、多くのことを断念することができなくてはならないということを。
自分はこの目のまえに立っている犯罪者とまったくおなじような罪人である。いや、自分こそ、この目のまえに立っている。人間の犯罪に対し、だれよりもさきに重い罪があるのだと、みずから認識しないかぎり、この地上には犯罪者を裁くことのできる者は存在しないのだ。
むかしの夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない。
ぼくは口が裂けても、アキラメロなどとは言わない。
少年の頃、読んだ本に「学問を成すなら世間から利口と思われる人になるな。世間から愚者と思われる人になれ。」とあったので世間から愚者と思われる人になろうと僕は願った。
心を高揚させる勝利もあれば、堕落させる勝利もある。心を打ちひしぐ敗北もあれば、目覚めさせる敗北もある。
恋敵に関しては、中庸を得るということはない。
旅の最大の悦びは、おそらく事物の変遷に対する驚嘆の念であろう。
どんなにいいことを説いても、そのなすところがそれに反していたのでは、十分な説得力は持ち得ない。
一貫したものは環境においてでなく、自分みずからのうちに求めよ。
人間の値打ちはどの宗教を信じるかではなくて、ただその人の行いによって決まるのだ