公式戦では自分のがんばり次第で当たるところまで行けるので、羽生先生と当たるところまで登りつめないと、と思いますし、憧れからは抜け出さないといけないと思います。
富人(ふじん)が金を得れば、悪業が増長する。貧人(ひんじん)が金を得れば堕落の梯(はしご)を降って行く。
俺の敵はだいたい俺です
役者は自分の生き様も芸もふくめて、見ている人に勇気を与えたりできる
いかにいい仕事をしたかよりもどれだけ心を込めたかです。
あなたがやれる最善を尽くしたなら、心配したって事態は良くならない。私もいろいろなことを心配するが、ダムからあふれる水までは心配しない。
他者に貢献することは、この地球でのあなたの居場所に払う家賃である。
私自身を窮境の中に支えてくれたのは道義心であり、自殺によって生命を絶たなかったのは、私の芸術ばかりではなく、この道義心のおかげでもある。
絵を描くのは、人生に耐えるための手段だ。泣かないでくれ。僕がしてきたことは、僕たちにとっていちばんいいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない。
因襲にぜんぜん屈服しない男女から成り立つ社会のほうが、みんなが画一的になるような社会よりも面白い社会であろう。
神を感じるのは心情であって、理性ではない。信仰とは、そのようなものである。
ただ一局一局を大切に、そこにだけ集中して指してきた。
ものごとは確信を持って始めると、疑惑に包まれて終わるのがオチである。しかし初めに疑ってかかり、じっくりそれに耐えれば、最後は確信に満ちたものになる。
ぼやぼやしてちゃいけないよ。人がつくった衛星が宇宙を飛んでる時代に、縁起がどうのこうの、日の良し悪しや占いが迷信がなんて、みんな自分自身に、消極的な暗示をかけているんですよ。
言葉には人生を左右する力があるんです。この自覚こそが人生を勝利にみちびく、最良の武器なんですよ。
こんな言葉がある。刑務所に入らずして、その国家を真に理解することはできない。国家は、どのように上流階級の市民を扱うかではなく、どのように下流階級を扱うかで判断されるべきだ。
愛は死よりも強く、死の恐怖よりも強い。愛によって人生は支えられ、ただ愛によってのみ進歩を続けるのだ。
幸福には、明日という日はありません。昨日という日もありません。幸福は、過去のことを記憶してもいなければ、将来のことも考えません。幸福には、現在があるだけです。今日という日ではなく、ただいまのこの瞬間があるだけです。
人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である。
彼は、恋をすることによって同時に自分自身を見いだしたのであった。しかし、大抵の人々は、恋をすることで自分自身を失ってしまうのである。
信仰の深さと不寛容さは、常に裏表の関係にあります。
怒りは他人にとって有害であるが、憤怒にかられている当人にとってはもっと有害である。
心配するのは一回に一日分だけってきめたのさ!
自由に生きるとは、心のこだわりをなくすことです。自分の心を見つめて、ひとつでもふたつでも、そこに凝り固まっているこだわりをほぐしていくことが大切です。
「それは私の責任です」ということが言い切れてこそ、責任者たりうる。
普通の努力では、チャンスをチャンスと見極められない。熱心の上に熱心であることが見極める眼を開く。
愛というのは、その人の過ちや自分との意見の対立を許してあげられること
人生は呑気な楽しい休日でも、気の利いたことが記されている書物でもありません
価値ある事業は、ささやかな、人知れぬ出発、地道な労苦、向上を目指す無言の、地道な苦闘といった風土のうちで、真に発展し、開花する