とにかく面白いコントを作りたい。そう思わせた最大の要因は、やっぱり育ってきた家のなかの暗さにあったんじゃないかな。親父は小学校の教頭をやっていたんですけど、ガチガチの堅物でね。普段はニコッともしない。しかも講道館柔道の5段なんですよ。講道館柔道というのは実践的なケンカ柔道で、実質的には5段以上はいないと言われてて、ホント、こわくてね。下手に口答えでもしようものなら、すぐにバーンと足払いですから。そんな家に、笑いなんかあるわけないじゃないですか。そんな雰囲気のなか、夕飯のとき、お笑い番組をつけていると、それを見て親父がクスッと笑う。その瞬間、家のなかがパッと明るくなるのが嬉しくてね。「ああ、笑いの力ってすごいんだな」って。
私の笑顔はあなたから始まります。
どんなときでも、より劇的でありたい。つまらないと感じることは最大の不幸だと思うから。
芸能界の仕事は一年一年が勝負なんです。今年頑張らないと、もう来年はないといつも思ってる
楽観っていうのは、単なる悲観の反対語じゃないんですよ。楽観というものには、こう生きようという、意志や決意があるんです
私は、死んだ後でも、生き続けたい。
みんながミッキーマウスを見て笑えるのは、彼がとても人間らしいからだ。それが彼の人気の秘密だ。
無理だなんて絶対に口にするな。限界は恐怖と同じで、大抵幻想にしか過ぎないから。
思い違いしないでくれ。ぼくたちは自分の未来を築いてるんだから、必要なものは自分で用意しなくっちゃ。
画家の心は鏡に似ることを願わねばならぬ。鏡はつねに自分が対象としてもつものの色に変わり、自分の前におかれるものそのままの映像によって自己を満たすものである。
善行は、お返しができる程度なら、快く受け取られる。その限度を超えると、感謝どころか増悪が返ってくる。
恋愛で第一に大事なことは何かと聞かれたら、私は、好機をとらえることと答えるだろう。第二も同じ、第三もやはりそれだ。
成すべきことを見つけたものは幸いである。その人に他の幸福を求めさせてはならない。
現在から、未来は生まれ落ちる。
島国の人間は、どこも同じことで、とにかくその日のことよりほかは目につかなくって、五年十年さきはまるで暗やみ同様だ。それもひっきょう、度量が狭くって、思慮に余裕がないからのことだよ。
大事なのは義理の二字である。死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である。
竹にはフシがある。そのフシがあるからこそ、竹は雪にも負けない強さを持つのだ。
素振りを1本でも多くやったヤツが、勝つ世界。
「名誉を軽んぜよ」と書物に書く人も、我が名を書物に記す。
経験的に、悪徳を持たない者は美徳をほとんど持っていない。
人類の不幸の大半は、ものごとの価値を計り間違えることによってもたらされる。
ある習慣の規則正しさは、その習慣のばかばかしさに比例する。
「人生」の長い旅をゆくとき、よくぶつかる二つの大きな難関がある。第一は、「分かれ道」である。第二は、「行きどまり」である。
限りある資産を頼りにするよりも、限りない資本を活用する心掛けが肝要である。限りない資本を活用する資格とは何であるか。それは信用である。
よい人間とは、自分の罪をいつまでも忘れないで、自分の善行はすぐに忘れる者のことである。わるい人間とは、その反対に、自分の善行をいつまでも忘れないで、自分の罪はすぐに忘れる者のことである。自分を許すな。そうすれば、容易に他人を許すことができよう。
人に与えて、己いよいよ多し。
子どもができたら、すぐにでも女優をやめて家庭をまもるわ。
同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という。
この地上で過ごせる時間には限りがあります。本当に大事なことを本当に一生懸命できる機会は、二つか三つくらいしかないのです。
気持ちよい生活を作ろうと思ったら、済んだことをくよくよせぬこと、めったに腹を立てぬこと、いつも現在を楽しむこと、とりわけ、人を憎まぬこと、未来を神にまかせること。