挑戦自体がモチベーションを上げるためのもの。
いつも通りやろうとしたら僕の負け。
「好きだから」「やりたかったから」「楽しそうだったから」行動の理由はこれで充分だ。動機がシンプルなほど、エネルギーは強い。ぐちゃぐちゃ細かい理由などいらない。
労働の賃金は勤勉への奨励であって、勤勉とは他のすべての人間の資質のように、それが受ける奨励に比例して進歩するのである。
我々が食事をできるのは、肉屋や酒屋やパン屋の主人が博愛心を発揮するからではなく、自分の利益を追求するからである。
人間はなぜ生まれてきたのか、ぼくはなぜ生まれてきたのか、その答えをずっと知りたかった。いま新たに課せられたものは、誰もが背負う痛みや苦しみをひとつずつ言葉にして、本当の音楽を歌い続けていくことだと思う。
自分が真実から目をそむけて子どもたちに本当のことが、語れるのか。
ビール箱に腰を下ろして客待ちをしている間、私は学校に通っていなかったため漢字が読めないので字を覚えるためによく書物を開いて見ていた。一晩一字ずつ覚えることに決めて鉛筆で書いてもみた。いつしか、これが評判になって本を読む夜店小僧と言われるようになった。
年をとるにつれて、人が言うことには以前ほど注意を払わなくなった。人の行動をただじっと見ることにしている。
朝起きて夜寝るまでの間に、自分が本当にしたいことをしていれば、その人は成功者だ。
友よ拍手を!喜劇は終わった。
わたしと一緒になろうなんて人はいないわ。わたしは料理が出来ないの。
働くことができない、人間として使命を果たすことができない、これが結局、人間の唯一の不幸なのである。
突飛な意見を持つことを恐れるな。今日認められている意見は皆、かつては突飛だったのだ。
私は、どんなに前途が多難であろうとも、人類史のもっともよき部分が未来にあって、過去にないことを確信している。
まぁ生まれ直す事があったらね、2つから3つぐらいまでに将棋を覚えて、もういっぺんやり直してみたいと。今度は丈夫な体でね、名人を角落ちぐらいでね、からかってみるのも面白いと、こう思う。
総じて人は己に勝つをもって成り、自ら愛するをもって敗るるぞ。よく古今の人物を見よ。事業を創起するする人、大抵十に七・八まではよく成し得れども、残りふたつを終るまで成し得る人の希なるは、始めはよく己を慎み、事をも敬するゆえ功も立ち名も顕るるなり。
部下を「信じる」というのは、リーダーの重要な資質。
自分自身に対する誠実さと他人に対する優しさ、すべてはこの二つに包括される。
笑いは消化を助ける。胃散よりはるかに効く。
行動は必ずしも幸福をもたらすものではない。しかし、行動のないところに幸福はない。
その奥さん、親戚は多いし知り合いも沢山いたんだ。でもね、言うまでもなく“知り合いが沢山居たって友達が一人も居ない” って事は有り得るんだよ。
欠点?これが欠点だって!?違うよ… これはみんな個性だよ!
報いのない日々にも、たゆまず努力を続ければ、やがて手にする見返りが、その分大きくなるものだ。
私にはクリスマスのお祭り騒ぎが以前からどうしても受け入れられない。それはイエスの生涯や教えに全くそぐわないように思える。
自由に生きるとは、心のこだわりをなくすことです。自分の心を見つめて、ひとつでもふたつでも、そこに凝り固まっているこだわりをほぐしていくことが大切です。
現代の道徳は、現代の基準を受け入れる点にある。いやしくも教養のある人間にとって、現代の基準を受け入れるということは、愚劣きわまる不道徳のひとつの形式だと思う。
歴史家に必要な第一の要件は、発明するという能力を持たないことだ。
せっかくの99パーセントの貴重な成果も、残りの1パーセントの止(どど)めがしっかりと刺されていなかったら、それは初めからなきに等しい。
性に合わない人たちとつきあってこそ、うまくやって行くために自制しなければならないし、それを通して、われわれの心の中にあるいろいろ違った側面が刺激されて、発展し完成するのであって、やがて、誰とぶつかってもびくともしないようになるわけだ。