「絶対に勝ちたい」「こんなんで負けてたまるか」という怒りの感情で、自分のアドレナリンをしっかり出しきれた。
自分がオリンピックに行く前、今シーズンの夏なんですけれども、「今を貫け」というふうに言葉を出しました。それは、絶対にケガをしないとは言えなかったし、ケガじゃなくても病気とか調子が悪かったとしても今というのは揺るぎないものなので、それを貫いてほしいと思いました。これは羽生結弦のために書いたわけではなくて、羽生結弦がこれまでいろいろやってきた中で、ちょっとでもみなさんが、夢を叶えるきっかけになるような言葉として書いたものです。
人間は誰ひとりとて煩いなき一生を送り得ず。
自分を信頼した者がそこにいるとしたら、不幸にさせたくないよね。
食らいついたら、人は面白がって、振りほどこうとする。ここもかめるのかって手を差し出してくる。そこでどんどん吸収していくしかない。
先のこと考えるのやめたんだ わかってたけど…大事なのは結局…”今”だ
卑怯、ずるいは敗者の戯言!
クロックスの日本法人を辞めた後、6ブランドからお誘いを受けましたが、すべてお断りしました。僕は100人が100人、「これなら絶対売れるよ」と言われるものは手がける気にならない。むしろ成功する可能性は50%くらいで、ほかの人は手を挙げないものの方が面白い。みんなが尻込みするものに挑戦すること自体に喜びを感じます。
現代では、集中力を身につけることは規律よりもはるかにむずかしい。
恋は人生の全てではない その一部分だしかもごくわずかな一部分だ!
私は、自分の障害を神に感謝しています。私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです。
あなたの同意なしに、誰もあなたに劣等感を抱かせることはできない。
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである。
戦争を経験して、逆境に負けない強靭さが身につきました。また、戦争が終わって戻ってきたもののありがたみをつくづく感じました。食料、自由、健康、家庭、そして何より人の命に、深い感謝の念を抱いたのです。
同じ花崗岩のかたまりも、弱い人にとっては、道の障害物になる。しかし、強い人にとっては、道に置かれた踏み台となる。
小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。心懐爽快ならば人間やつれることはない。
反省はしろ!後悔はするな!
全部取られたんですよ。最後におっさんが寄ってきて、お前のパンツもくれと。いやいや、パンツはいるやろと。
僕は三塁のホットコーナーを守ってやってきた。三塁ベースは僕の恋人です。それが守れなくなったら潔く引退します。
名選手になることは難しくない。努力を怠らず、目の前にあるものをキッカケを逃さずに、確実に掴んでいけば、必ずどうにかなる。
私たちの人間性は、私たちの内部に動く神性を除くと、貧弱なものである。
法は、善人のために作られるものではない。
知識の限界で宗教が始まる。
相手を動かそうとする時には、心のこもった、押しつけがましくない説得の手を用いるよう心がけることだ。「一ガロンの苦汁よりも一滴の蜂蜜を用いたほうが多くの蝿がとれる」ということわざは、いつの世にも正しい。人間についても同じことがいえる。
俺の青春は雲一つない空のように、まだ青く晴れわたっている。偉くなりたい、また金持ちになりたいと願うことは、嘘をつき、頭を下げ、へつらい、偽ることを自ら決心したことではないか。
太陽のように生きて、太陽のように死にたい。
論語とソロバンというかけ離れたものを一つにするという事が最も重要なのだ。
手なれたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ。
完璧がついに達成されるのは、何も加えるものがなくなった時ではなく、何も削るものがなくなった時である。
人がこの世に生きていく限り、やはり何かの理想を持ちたい。希望を持ちたい。それも出来るだけ大きく、出来るだけ高く。