自分にも、人にも、足らないことばかりを見つけて、愚痴や嘆きに変えることが、乱れる心と 眠れない状況を創るのです。
正義を金で計算しようというのは間違いのもとである。
相手が誰であろうと悪党にはワッパをかける。それが俺の主義なんだよ。
本気でやった場合に限るよ。本気の失敗には価値がある。
私は頭が良いわけではない。ただ人よりも長い時間、問題と向き合うようにしているだけである。
日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります。
明日のエグゼクティブが学ぶべき3つの重要な事柄は、①自分で自分の面倒がみられること、②下(部下)のマネジメントではなくて、上(上司)のマネジメントをすること、③そして、経営の基本を広く着実に身につけることである。
愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。
もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう。
最大の危機は、目標が高すぎて失敗することではなく、低すぎる目標を達成することだ。
自分の行ないが変化をもたらすかのように行動しなさい。それが変化をもたらすのだ。
徳は一種の健康であり、美であり、魂のよいあり方なり。それに反し、悪徳は病気であり、醜であり、弱さなり。
絶望した側が戦いに勝つことがよくある。
率直に話す、素直に詫びる。こうした態度を貫くことが、人間関係で成功するいちばんの近道となる。
夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。
実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。その若者が、こうして年を取ったまでだ。だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。
重荷があるからこそ、人は努力するのである。重荷があるからこそ、大地にしっかりと足をつけて歩いていける。
人の一生は、最終的にその人の品格に左右され、品格は自分をどう形成するかにかかっている。
晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ。
僕たちは一年ごと、一月ごと、一日ごとに齢を取っていく。時々僕は自分が一時間ごとに齢を取っていくような気さえする。そして恐ろしいことに、それは事実なのだ。
彼は人を好きになることが好きだった。だから、人々は彼のことを好きだった。
良識を求めることのできない人間には三種類ある。恋をしている男。恋をしている女。そして、恋をしていない女である。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。
僕は今まで、説教されて、改心したことが、まだいちどもない。説教している人を、偉いなあと思ったことも、まだ一度もない。
人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。
我々が知りうる唯一のことは、我々は何も知らないということである。そしてこれが人間の知恵が飛翔しうる最高の高みなのだ。
平均的な父親ってのはいろいろなはげましを必要とするものさ
すべての人を自分より偉いと思って仕事をすれば、必ずうまくいくし、とてつもなく大きな仕事ができるものだ。
正規の教育を受けて好奇心を失わない子供がいたら、それは奇跡だ。
もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?