将棋に巡り合えたのは、運命だったと思いますし、将棋を突き詰めていくこと、強くなることが使命。
私は現実とファンタジーの間で人生の半分をずっと過ごしています。
嵐ファンであることを誇れるような、そういうグループになっていたいなって思う。でもそれは数字とかのトップではないんだと思う。
泥沼にも清らかな花を咲かす事は出来る。
改革はする事が新たな問題を生む。それ等の恐れすぎると改革は永遠に出来ない。
最近よく言う「自分へのご褒美」みたいなのもいらないですね。そんなもんやめたほうがいいです。
失敗は大成功への足がかり。
あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、親切と慈しみを込めて人に接しなさい。あなたの愛が表情や眼差し、微笑み、言葉にあらわれるようにするのです。
最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである。
あなたの同意なしに、誰もあなたに劣等感を抱かせることはできない。
凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです。
長いこと論争している場合は、たいてい彼らは何を論じ合っているのか彼ら自身分からなくなっている証拠である。
「もうダメ」ではなく、「まだダメ」なのだ。
60才になってロックンロールやれる、ケツ振れる。その事に感謝しないで何に感謝だ!
「何かしてあげる」と自分勝手な愛情を押し付けるのは自分がかわいいだけ。本当の愛は見返りを求めない無償の愛。
垣根は相手がつくっているのではなく、自分がつくっている。
料理や育児や掃除だけじゃなく、人生にはもっと大切なことがある。私は食器を洗って一生を送りたくない。
時間の無駄は人生最大の浪費であるに違いない。失った時間は二度と返ってこないからだ。
人間が唯一偉大であるのは、自分を越えるものと闘うからである。
ピラミッドは頂上から作られはしない。
オールがあるかぎり、舵の柄と棍棒があるかぎり、おれは最後まで闘ってやるぞ。
人間は自ら作りだした道具の道具になってしまった。
もし善が原因をもっていたとしたら、それはもう善ではない。もしそれが結果を持てば、やはり善とは言えない。だから、善は因果の連鎖の枠外にあるのだ。
悪い人々に対する非難や拒絶によって自分を浪費することがないように。むしろ善き人々の美徳を称えよ。
苦労する身は厭わねど、苦労し甲斐のあるように。
人生は、目を覚まして母の顔を愛するところから始まった。
婦人の運命はその愛される分量の如何にある。
急な山を登りつめて頂上に腰をおろす旅人は、ほっと一息いれるのが限りない喜びであるが、もし、永久にそうやって休息していろと無理強いされたら、彼は幸福であるだろうか。
CEOは私だ。その私が可能だと考えている。