僕は共演者に対しては、あまり演出とかはしない。本人に任せる。
「好きだから」「やりたかったから」「楽しそうだったから」行動の理由はこれで充分だ。動機がシンプルなほど、エネルギーは強い。ぐちゃぐちゃ細かい理由などいらない。
もし俺が病気で死にそうになったら「死ぬのが俺でよかった 嵐のメンバーじゃなくて」って思う。
いつでも、ただ何か変わったことをしたいと僕らは思っているだけなんだよ
変化はゆっくり訪れる
経営者の息子でも、贅沢とは無縁の生活でした。父は子供にお金を持たせると堕落すると考えていたようで、お小遣いは小学生のときは1日10円のみ。中学になって学校の帰りにみんなでアイスを食べるときも、一人で我慢していたことを思い出します。いまだにお金を使うことに罪悪感を抱いてしまうのは当時の影響でしょう。
私は頭が良いわけではない。ただ人よりも長い時間、問題と向き合うようにしているだけである。
不安・心配というものは、現実に起きてもいないことのためにクヨクヨと考えているものです。それはあなたの生命力を消費させるだけで、何の得もありません。
無知というのは、しばしば知識よりも確信に満ちている。科学によってこれやあれやの問題を解決することは絶対にできないと主張するのはきまって知識がない人である。
責任をとって仕事をする人間は、会社、工場、その他どんな社会においても、必ず頭角を現す。責任ある仕事を歓迎しよう。仕事の大小を問わず責任を果たせば、きっと成功する。
ものごとを見事にやることだよ。「もう一回それを見るためならお金だって払う」と言われるくらい見事にね。
あなたの過去は、あなたの未来と同じではない。
芸術は感情に外ならない。しかし量と、比例と、色彩との知識なく、手の巧みなしには、きわめて鋭い感情も麻痺される。
自分らしく生きられる場を探すのではなく、今、自分がいる場所で夢中になって生きてみましょう。そんな日々の積み重ねが、その人らしさを作っていくんだと思います。
ひとつのことを究めることは、すべてを理解することなのです。すべてのものの奥深くに、真理があるのです。
俺の人生は山あり谷あり。そう考えると今は谷底にいる。まだCSKAモスクワにいることもそう。
私は「落合・中日」ではなく「中日の落合監督」だと思っています。あくまで主役は選手達です。
いい時もあるし、悪い時もあります。自分もまた、それで初心に戻れたりしましたね。
苦労をした人にはそれと同じ量の喜び、ご褒美がくる。楽あれば、苦あり。苦あれば、楽あり。
手は、道具の中の道具である。
何事も決して当然であると思い込むな。
男から女への最高の誉め言葉は、「あなたは考え方が女らしい」と言うこと。
人は兄弟姉妹として、共に生きていく術を学ばなければならない。それが出来なければ、私たちは愚か者として共に滅びることになる。
どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。
真実をしゃべるなら、何も覚えておかなくていい。
人生について書きたいなら、まず生きなくてはならない。
妥協は沢山してきた。自分に負けたこともいっぱいあります。ただ、野球に関してはそれがない。
それはあまりたいした問題じゃない。私はいつもこの「それはたいした問題じゃない」という哲学を持ってきた。
どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え。
天には星がなければならない。大地には花がなければならない。そして、人間には愛がなければならない。