やはり実力失くして、結果を求めることはできないので。
仕事に限らず何でもそうだけど、「おれ、頑張りました」ってところが見えてしまうようではまずい。頑張ったとか、努力したということを、ことさら強調する奴がいるけど、それって手品で、すぐさまタネあかしをしてしまうのと同じじゃないのか。いとも簡単にやっているようで、実はその裏で血のにじむような努力と完璧な準備があるからこそ、金を取れるモノになるわけなんだから。
つまづいたらまた頑張りゃいいだけ。今までだって、何回つまづいてきたかわかんないからね。
人間はなぜ生まれてきたのか、ぼくはなぜ生まれてきたのか、その答えをずっと知りたかった。いま新たに課せられたものは、誰もが背負う痛みや苦しみをひとつずつ言葉にして、本当の音楽を歌い続けていくことだと思う。
新世紀維新とも言うべき改革を断行したい。痛みを恐れず、既得権益の壁にひるまず、過去の経験にとらわれず『恐れず、ひるまず、とらわれず』の姿勢を貫き21世紀にふさわしい経済・社会システムを確立していきたい。
人に真似される商品をつくれ。
どうやって音楽を作っているのかと尋ねられたとき、ただ音楽の中に踏み入るだけだと答えます。それは川の中に足を踏み入れて、流れに身を任すようなもの。川の中のすべての瞬間が、それぞれの歌を持っている。
争いの場合、怒りを感ずるや否や、我々はもはや真理のためではなく、怒りのために争う。
知るは見るなり。
読書とは、自分で考える代わりに他のだれかにものを考えてもらうことである。
あらゆるものは自明である。
ひとつのことを究めることは、すべてを理解することなのです。すべてのものの奥深くに、真理があるのです。
人から多くの好意を寄せられる人は、その分多くの嫉妬も受ける。美しく生まれた人にはそれがハンデとなる。
苦しみを経験するから幸せの有り難みが分かる。苦しむことは幸せになるためのプロセス。
生きることと書くことを、作家は一つにすべきだ。
法律においては、他人の権利を侵害する時には罰せられる。道徳においては、侵害しようと考えるだけで罪である。
大きな山に登ってみると、人はただ、さらに登るべきたくさんの山があることを見出す。
どのような平和を私は言っているのか?どのような平和を我々は探求しているのか?私が言っているのは本物の平和である。それは人生が生きるに値すると思わせる平和であり、すべての人々や国々を発展させ、夢を抱かせ、子供たちのためにより良き生活を打ち立て得る平和である。それはアメリカ人だけのための平和ではなく全人類のための平和であり、我々の時代だけの平和ではなく全ての時代の平和である。
「そのうちやる」という名の通りを歩いて行き、行き着くところは「なにもしない」という名札のかかった家である。
造物主に非難すべき所があるとしたら、神があまりに無造作に生命を作り、あまりに無造作に生命を壊す点だろう。
銀行とは、天気のよいときに傘を貸し、雨が降り出すと返せという所である。
この世は素晴らしい。戦う価値がある。
若いうちはすべてが許され、何も許そうとしない。歳を経るとすべてを許すようになり、何も許されなくなる。
いいや、人を信じるのはいいことだよ… 君はただ若いだけさ…
一人に可能なことは、万人にも可能である。
叱るときには、本気で叱らんと部下は可哀想やで。策でもって叱ってはあかんよ。けど、いつでも、人間は偉大な存在であるという考えを根底に持っておらんとね。
困難の中に、機会がある。
安全にやろうと思うのは、一番危険な落とし穴なんだ。
CEOは私だ。その私が可能だと考えている。
私たちは、自分が誉められるためにではなく、私たちが選んだこの仕事に名誉をもたらし、それを前進させるために、心を打ち込んで事を成し遂げていこうではありませんか