私たちが生まれてきたのは、生きているだけで十分に値打ちがあるものとして、生まれてきたんです。
ガブっとやられたらお陀仏でっせ・・・。
けれどもどうしてももうできないときは、おちついてわらっていなければならん。落ちつき給え。
だれもが、お金や物質的な利益を求めているのは危険だと思う。もっと精神的な豊かさが必要だ!
たよれるのは おのれの体のみ!
自分の身は自分で守る!
自力で苦難をのりこえられん男なんか死んじまった方がいい!
概して人は、見えることについて悩むよりも、見えないことについて多く悩むものだ。
気高さや真実を求めていれば、それ以外のことはあとからついてくるはず。
自分の知っていることをすべて妻に話したがる人は、わずかしか知らない男だ。
我はここに立つ。他になしあたわず。神よ我を救いたまえ。アーメン。
人生は個人にとっても人類にとっても、等しく耐えがたいものである。
最も重要なことから始めよ。
愛は、人と人を結びつける力なのです。
小事に煩わされないために必要なことは、努めて力点を変えてみること。つまり、心の中に新しく愉快な視点を作ることだ。気にする必要もなく、忘れてもよい小事で心を乱してはならない。小事にこだわるには人生はあまりにも短い。
状況に対してどう反応するかが、私たちの感情を決めるのである。
心配しなくていいんだよ。どんな些細なことでもすべてうまくいくからさ。
時間とは、すべてのことが同時に起きるのを防ぐ、自然の法則である。
物事に関心がなくなり、真面目さや憧れ、情熱、熱意などを失いかけていることに少しでも気付いたら、病気の前触れだと考えなければならない。表面的に流されている生活に魂が苦しんでいると気付かなくてはならない。
理性によってのみわれわれは人間となる。
まぁ生まれ直す事があったらね、2つから3つぐらいまでに将棋を覚えて、もういっぺんやり直してみたいと。今度は丈夫な体でね、名人を角落ちぐらいでね、からかってみるのも面白いと、こう思う。
歴史は人生の師である。
心の中で素晴らしい考えを育てなさい。なぜなら、自分が考えている以上に、素晴らしい人間にはなれないのだから。
生まれたときから、肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいない。人は憎むことを学ぶのだ。もし憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。愛は、憎しみに比べ、より自然に人間の心にとどく。
美の探求とは、そこで打ち負かされるに先立って芸術家が恐怖の叫びを上げる、一つの決闘である。
理想主義のない現実主義は無意味である。現実主義のない理想主義は無血液である。
誰かと一緒に不幸になるよりも、一人きりで不幸になるほうがいいわ。
天地も人も皆気のみである。気を養えば、人間あとは行動に移すのみだ。
もし私にユーモアがなければ、これほど長く苦しい戦いには耐えられなかっただろう。
不思議なことが多すぎると、それに逆らおうなんて気がしないものだ。
悲しみの表現を身につけると、あなたにとって貴重なものとなる。喜びの表現を身につければ、限りない喜びが味わえるというものだ。
卑怯者は、安全なときだけ威たけ高になる。