裏切られても信じることから、奪われても与えることから、寂しくても分け合うことから、悲しくてもほほえむことから、明日が平和でなければ誰にも生きる意味がない。心をいつでもかがやかしていなくちゃならない。気をつけてまっすぐ歩いてほしいよ。
憂鬱じゃなければ仕事じゃない。
放棄する者に勝利は無い。勝利者は決して諦めない。
みんなが誉めるのは、おべっかである。六割が誉めて四割がけなすのが人材である。
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。
東京都の水道水で毎日顔を洗ってるくらいです。
私は自然について少し理解しているが、人間についてはほとんどまったく理解していない。
錯誤行為──言い違い、聞き違い、読み違い、書き違いは受ける側の願望を表わしてる。
自分の役に立たないものを愛する時にはじめて、愛は開花する。
成功の秘訣は、自分で仕事をするのではなく、仕事をさせる適材を見つけることだ。
他人に興味を持つことによって自分自身を忘れよう。毎日、誰かの顔に喜びの微笑が浮かぶような善行を心がけよう。
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける。
色彩は、それ自体が、何かを表現している。
本来お世辞というものは、女の身にぴったりと当てはまる衣装である。
信玄の兵法に、のちの勝ちを大切にするのは、国を多くとりたいという気持ちからである。自分は国を取る考えはなく、のちの勝ちも考えない。さしあたっての一戦に勝つことを心掛けている。
無知は決して悪を生まない。危険な罪悪を生むのはただ誤謬の懸念である。
人間は考えることが少なければ少ないほど余計にしゃべる。
読書は、論争のためではなく、そのまま信じ込むためでもなく、講演の話題探しでもない。それは、熟考のためのものなのだ。
十人が十人とも悪く言う奴、これは善人であろうはずがない。だからといって十人が十人ともよくいう奴、これも善人とは違う。真の善人とは、十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物である。
人は情熱に従って行動するときのみ、真に偉大である。
ついに起こらなかった害悪のために、われわれはどれほど多くの苦しみを味わされたことか!
獣のごとく生き、獣のごとく考えていた。
白人にいつもいつも「イエス」と言うのをやめ、自分自身への嫌悪を振り切った時、我々は自由への道を歩き始める。
自由はひとたび根付きはじめると急速に成長する植物である。
細部を気にしていると、人生は浪費されてゆく。単純にしたまえ、単純に。
単に給料をもらうために、壁の向こう側に石を投げ入れ、それをまた投げ返す仕事をしないかと言われたら、ほとんどの人は、侮辱されたと感じるだろう。ところが、今、多くの人々は、そんな仕事よりましな仕事を与えられていないのだ。
慈善は、それが犠牲である場合のみ慈善である。
死者も我々がまったく忘れてしまうまで、本当に死んだのではない。
思い煩うことはない。人生に意味はないのだ。
最も賢い処世術は、社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。