プラトンは私の友、アリストテレスは私の友。しかし、最大の友は真理である。
哲学は、最高の文芸なり。
徳は一種の健康であり、美であり、魂のよいあり方なり。それに反し、悪徳は病気であり、醜であり、弱さなり。
親切にしなさい。あなたが会う人はみんな、厳しい闘いをしているのだから。
驚きは、知ることの始まりである。
科学は、知覚以外の何物でもなし。
あなたの悲哀がいかに大きくても、世間の同情を乞おうとしてはならない。なぜなら、同情の中には軽蔑の念が含まれているからだ。
正義とは、己にふさわしきものを所有し、己にふさわしきように行為することなり。
徹底的にどうしようもなく道を踏みはずした悪人に対しては、怒りをあらわにすべきである。
無理に強いられた学習というものは、何ひとつ魂のなかに残りはしない。
時は、未来永劫の幻影なり。
少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。彼の興味を利用して指導せよ。そうすれば自分の能力がどこに向いているか、少年自身で見出しやすくなる。
老齢は明らかに迅速なり。われらに必要以上に迅速に切迫す。
賢者は、話すべきことがあるから口を開く。愚者は、話さずにはいられないから口を開く。
二度子供になるは老人のみならず、酔っぱらいもしかり。
人間の最も基本的な分類として、「知を愛する人」「勝利を愛する人」「利得を愛する人」という三つの種類がある。
ただ死者のみが戦争の終わりを見たのである。
真理は、子供の口から出る。
何年もたち、時が流れ、君の意見の多くがその逆になることもあるのだよ。
人間のことは何にてあれ、大いなる心労に値せず。
正義とは、強者の利益にほかならず。
音楽は、世界に魂を与え、精神に翼をあたえる。そして想像力に高揚を授け、あらゆるものに生命をさずける。
はじまりは労働の最も重要な部分である。
目は心の窓である。
恋されて恋するのは恋愛ではなく友愛である。
子供と動物はずいぶんよく似ています。どちらも自然に近いのです。でも子供が狡猾な猿よりも良く理解する事が一つあります。それは偉人の立派な行為のことです。
いかに知識を身につけたとしても全知全能になることなどはできないが、勉強しない人々とは天地ほどの開きができる。
哲学というものは、たしかに結構なものだよ。ひとが若い年頃に、ほどよくそれに触れておくぶんにはね。しかし、必要以上にそれにかかずらっていると、人間を破滅させてしまうことになるのだ。
恋という狂気こそは、まさにこよなき幸いのために神々から授けられる。
哲学者の全生涯は、まさに死に至ることと、その死を成就すること他ならず。
嫉妬深い人間は、自ら真実の徳をめざして努力するよりも、人を中傷するのが、相手を凌駕する道だと考える。
偉大な人物たらんとする者は、自分自身や自分に属するものをではなく、正しいことをこそ愛すべきなのだ。
思慮を持ち正義をかざしてその生涯を送らなければ、何者も決して幸福にはなれないだろう。
リズムとハーモニーは、魂のもっとも深いところに至る道を持っている。
自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。
愛に触れると誰でも詩人になる。
我々は、自らが熟考しているものになる。
だれに対しても、不正を不正でもって、悪を悪でもって、埋め合わせしてはいけない。よしんば、その相手にどれほど苦しめられていようとである。
魂には眼がある。それによってのみ真理を見ることができる。
破廉恥に対する羞恥心も、美を求める努力も、ともに欠けているようでは、国家にしろ個人にしろ、偉大な美しい行為を果たすことはできない。