将来の戦争は勝利に終わるのではなく、相互の全滅に終わる。
自分の意見と違う意見に腹を立てず、そういう意見が出た理由を理解しようとする術を学ぶことが大事である。
世論に対して関心を示さないのは、まさに一つの力であり、幸福の源泉である。
諸君が自分自身に対して関心を持つのと同じように、他人が自分に関心を持っているとは期待するな。
人間は「自分の死後に、何が起ころうとしているのか」に思いをはせることが大事である。
私たちが愛する人々の幸福を願うのは当然である。だが、自分たちの幸福を棄ててまで、これを願うべきではない。
浪費するのを楽しんだ時間は、浪費された時間ではない。
われわれにとって最も不愉快な人種は、相手を見境なく分類して、分かり切ったレッテルを貼る人々である。
賢人は、妨げうる不幸を座視することはしない一方、避けられない不幸に時間と感情を浪費することもしないだろう。
首尾一貫した目的だけでは、人生を幸福にするのに十分ではない。しかし、それは、幸福な人生のほぼ必須の条件である。
幸福な生活とは、その大部分が静かな生活であることにかかっている。なぜならその静かな雰囲気のなかでだけ真の喜びは生き続けられるのだから。
過度にならない程度に自己の能力を高く評価することが幸福の一つの源である。
何事も絶対確実だと思い込んではいけない。
戦争は誰が正しいかを決めるのではない。誰が生き残るかを決めるのだ。
素晴らしい人生とは、愛に鼓舞され、知識に導かれた人生だ。
突飛な意見を持つことを恐れるな。今日認められている意見は皆、かつては突飛だったのだ。
現実の人生というのは、大抵の人にとっては、じつに長い次善の人生である。つまり、理想と可能性との永遠の妥協である。
役に立たない知識から得る喜びは大きい。
酩酊は一時的な自殺である。
愚者の楽園に暮らす人々の幸福を羨ましがってはいけない。それを幸せだと考えるのは愚か者だけだからである。
道徳を云々するものにとっては、退屈こそひとつの重要な問題である。というのは、人類の罪悪の少なくとも半分は、退屈を恐れるあまりおかされるものであるから。
他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。
それが何であれ、あなたの得意なことが幸福に導いてくれる。
私は、どんなに前途が多難であろうとも、人類史のもっともよき部分が未来にあって、過去にないことを確信している。
愛国者は常に祖国のために死ぬことを口にするが、祖国のために殺すことについては決して語らない。
愛国心とは喜んで人を殺し、つまらぬことのために死ぬことだ。
最も強い希望は、絶望から生まれる。
幸福の秘訣はこういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ。
私たちは知りすぎている一方で、感じなさすぎる。ついには、人生の大切な源泉である創造的な感動を感じなくなるのだ。
理性的な人間なら、自分が絶対に正しいなどとむやみに信じたりはしないだろう。私たちは常に、自分の意見にある程度の疑いをまじえなければいけない。
あきらめには、二つの種類がある。一つは絶望に根ざし、もう一つは不屈の希望に根ざすものである。
自分で自分の価値を過大評価しないように。
愛を恐れることは、人生を恐れることだ。人生を恐れるものは、すでにほとんど死んだも同じだ。
経済学は人々がどのような選択をするか明らかにするが、社会学は人々に選択の余地がないことを明らかにする。
愛情を受け取る人間は、一般的にいえば、愛情を与える人である。
科学がなければ、愛は無力である。愛がなければ、科学は破壊的である。
最上のタイプの愛情は、相互に生命を与え合うものだ。
不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものです。
人は生まれたとき無知であって、ばかではない。教育によってばかになるのだ。
よい生活は、恐怖や束縛やお互いの自由に対する干渉の上に築くことはできない。
もしも平和が名誉を持って維持され得ないならば、そのような平和はいかなる平和でもない。
行いの悪い者に腹を立てるのは時間の無駄である。動かない車に怒るのと同じようなものだから。
因襲にぜんぜん屈服しない男女から成り立つ社会のほうが、みんなが画一的になるような社会よりも面白い社会であろう。
科学は既に知っていること。哲学は未知のこと。
何か不運に見舞われそうになったら、起こり得る最悪の事態について真剣に、慎重に考えてみよう。この起こり得る最悪の事態をしっかり見据えたら、それも結局大した災難ではないと思うための理由を考えてみよう。その理由は必ずあるものだ。
優柔不断ほど疲れることはない。そして、これほど大きなエネルギーの無駄もない。
人はみな、自分の幸福を望んでいる。しかし、文明の技術の上で一つとなった今日の世界では、他人の幸福を望む気持ちが一つにならない限り、自分の幸福を望んでも無駄である。
何かをやれるという最良の証拠は、他人がすでにそれをやり遂げたという事実である。
人間、関心を寄せるものが多ければ多いほど、ますます幸福になるチャンスが多くなる。
自分に起こるどんなことも、宇宙から見ればまったく取るに足らないことだ。